第9話 喚べる者、喚べない者
長い黒髪を夜風に靡かせて少女は屋根の上にいた。
空にぽっかりと浮かぶ巨大な月が、穏やかな光を地上に降り注いでいる。
少女は少し前までそれほどまでに大きな月を見たことがなかった。見ることが出来なかったという方が正しいのかもしれない。
皮肉にも、異世界へやって来て初めて目にすることが出来たのだ。
かたん、と微かな音がした。静かな夜では微かな音でも大きく聞こえる。黒髪を押さえつつ、音の出所を振り返れば、一房だけ紅が混じった白い髪の少年が屋根の上へと昇ってきたところだった。
「…………眠れないの?」
どちらが先に声を発したのだったか。
その一言の答えはどちらからも出てこなかった。代わりに沈黙が横たわる。少年は立ったまま、少女は座ったまま、沈黙に身を委ねる。
「…………ごめん」
少年が唐突に目を伏せ、謝った。
「何が?」
「喚んでしまって、巻き込んでしまって。…………ごめんなさい」
くすり、と少女は笑った。
「ただ呼ばれたわけじゃないわ。私達は選んだの。自分たちが進む道を」
それが結果として、召喚されることになってしまっただけ。
呟いて、少女は微笑を浮かべる。
「でも……っ」
「それに、そう言うのは他の五人に言ったら?」
「他の人には、キール兄さん達が謝りに行くって」
「あなたは私に?」
「うん。あと、さん」
少女は少年から視線を逸らし、月を見上げる。
つられるようにして見上げると、柔らかな月の光が降り注いでいる。
「……私は、本当に選んだだけ」
少女がぽつりと呟いた。
「え?」
「私は、見て見ぬ振りも出来たの。呼ばれてないから。本当に呼ばれたのは、の方。私はおまけなのよ」
これってお得なのかしら?
戯けたように言って、少女は立ち上がる。
長い黒髪が風に靡き、穏やかな光を湛えた、月の下では黒く見える瞳が少年を映す。
「後悔はしていないわ。する必要がないの。自分で選んだ道は、自分で責任を持ちたいから」
「…………………………羨ましいな」
「あなた達にだって出来るわよ。絶対に」
それだけ言うと、少女は一足先に中へと戻っていった。
途中、少年の頭を軽く一撫でしてから。
「…………あの人が、なんだね」
泣きそうな顔をして、少年は暫く少女の消えた出入り口を見つめていた。
「」
掛けられた声に振り向くと、そこにはハヤトが立っていた。
「ハヤト君」
「ハヤトでいいって。それより、庭においでよ。ソル達が召喚術を教えてくれるってさ」
どうやら異世界から来たハヤト達は召喚術が使えるようになっているらしい。
何故使えるのかは解らない。それでも使えるのだから使い方や制御の仕方ぐらいは、と習うことになったのだ。
「でも、私は……」
「だってやる気だしさ。やるだけやってみようよ」
押されに押されて頷けば、すぐさま手を引き庭へ連れて行かれる。
庭へと出れば、既に待っている他の異世界組四人と召喚師五人。
腰に手を当ててが仁王立ちしていた。
「遅いっ。ハヤト、連れてくるのにどれぐらいかかってるのよ!」
「え、まだそんなに経ってない…………」
「問答無用っ!」
「えええっ」
強引なに押し負けて、がっくりと項垂れるハヤト。その背に九対の憐れみの視線が向けられる。
憐れみを受けさせた当のはというと、しっかと緑色の石――――サモナイト石――――を右手に持ち、準備万端な姿勢を取ると召喚師であるソル達五人を振り返る。
「も来たことだし! さ、教えてちょーだい!」
「、偉そう……」
「様は偉いのだ」
「自分で言う? それ」
アヤとトウヤにじゃれながらもはキールの方を向き、教わる体勢を整える。目は真剣そのものだ。
大まかにやり方を説明し、あとはその人自身の素質と相性によって成長が異なっていくと締めくくり、カシス達五人はとりあえず経験あるのみ、と、サモナイト石を既に手に持っている以外の五人に手渡した。
、ハヤト、トウヤ、ナツミ、アヤの五人は、各々魔力を注ぎ込むだの、精神を集中させるだのと召喚を行おうと必死になっている。
そんな様子を、紫のサモナイト石を持ったまま見つめるにキールが話しかける。
「君はやらないのか?」
「…………私は、多分そう言うの向かないと思うんです。に付いてきただけ、だから」
「それは……………………」
ふ、と頬を緩めては笑う。
「聞いたんでしょう? ニッカに」
「あ、ああ」
さらに笑みを深くして、は視線をたちの方へとずらす。
と、その顔が驚きの表情へと変わり、次の瞬間ナツミがミョージンを呼び出していた。
「やった、成功!」
喜んで飛び跳ねるナツミと、お祝いの言葉を述べながら拍手を送る達。
その様子を見ながらちらり、とニッカはに視線を送る。
凄いなぁ、と驚きながら素直に仲間の成功を喜んでいるその様子に薄く笑みを浮かべ、
「…………やってみなきゃ解らないんじゃないかな」
と声を掛ける。
少し驚いたようにニッカを見る。けれどもすぐに視線を手の中のサモナイト石に落とし、そうね、と呟く。
やってみなければ解らない。ならばやってみるしかない。
小さく息を吐いて、手の中のサモナイト石に集中する。周りの音が、一瞬消えたように感じた。
けれどもそれは一瞬で、すぐにその感覚は消え去る。
「…………駄目みたい」
「そうかな、結構いい感じに魔力が集まってきてたけど」
ソルがそう言ってサモナイト石を覗き込む。
が持っているのはまだ何も誓約されていないサモナイト石。
「もう一度やってみたらいいんじゃないかな」
ハヤトがひょい、と口を挟む。
「俺達だってまだ出来てないし」
「……じゃあ、もう一度だけ」
「その意気だ。……誓約の呪文、唱えたらどうだろう」
「呪文?」
誓約の時、召喚師は儀式を行い呪文を紡ぐという。その呪文と儀式によって誓約が交わされ、サモナイト石に召喚術による門が固定される。
ハヤト達は特別な召喚のされ方をしたのか、ちゃんとした儀式を行わなくても魔力を消費し名前を付けることによって誓約を結ぶことが出来るらしい。
「でも呪文は集中するのにも使えるから」
キールの言葉に、それもそうかと頷いて、呪文を唱えようとして。
「…………好きに言っていいのかしら」
「集中できればいいんじゃないか?」
小首を傾げれば苦笑を返される。
むぅ、と頭を捻って呪文を考えていると、側で話を聞いていたがいきなり叫ぶ。
曰く、
「アブラカタブラ!」
地球組は呆れて開いた口が塞がらず、召喚師組は揃って頭の上に疑問符を浮かべている。
ナツミが先ほどのの言葉を説明していると、さらに二、三地球組には聞き覚えのある呪文を叫んでいく。ハッキリ言って危ない人に見えてくる。
「くっ、やっぱり駄目か」
「やっぱりなの?!」
「……くしゃみも試すべき?」
「思考が古いよ、」
ハヤトの突っ込みに舌打ちし、やはり召喚術らしい呪文の方がいいのかなと呟く。
緑のサモナイト石をしっかと持ち、暫し眉を寄せて考えた後、サモナイト石を天へと掲げる。
「我が声に応えて来たれ、異界の者よ!」
ふわり、とサモナイト石から緑の光が漏れ、次の瞬間召喚術が発動する。
召喚術によって呼び出され、の前にいたのはテテだった。
「可愛いー! やった役得!」
ガッツポーズで喜んだあと、呆然としている全員にVサインを送る。
「す、凄いな」
「ああ、あんな呪文で出来るなんて」
「なによー。これも実力ですー」
「やったね。あたし達だけだよ、まだ」
「そうとも限らないぜ。……ほら、アヤを見ろよ」
ソルの言葉でアヤの方を全員が振り返ると、ちょうど召喚術が発動し紫のサモナイト石がポワソを呼び出すところだった。
アヤの成功に続き、何度かの失敗を経てハヤトとトウヤも成功する。
だが、どれだけ魔力が集まっても誓約の呪文を唱えてもの持つサモナイト石が反応することはなかった。
「んー、どうやって元気づけようかなぁ」
ガレフの森、と呼ばれる場所をは一人歩いていた。
先ほどの召喚術の練習の時、だけが召喚術を使うことが出来なかった。クラレット達はまだ魔力が安定していないのかもしれないと言っていたが、は何処か納得したように、寂しそうに微笑んでいたと思う。
無理矢理練習に付き合わせたとしては、どうにかして元気づけたかった。
本来なら召喚術が上手くいくようにアドバイスをして、召喚術がそれによって出来るようになるのが何よりの元気づけ方だ。だが、それは先ほど嫌と言うほど試した。それでも出来なかったのだ。
だとしたら別の方法を考えるしかない。故に今、一人この森で悩んでいるのである。
うーん、と腕を組んで呻っていると、突然肩に手を置かれた。
「わぁっ!?」
驚いて叫ぶと、もう一つの叫び声。
「うわあっ!? いっ、いきなり大声を出さないでください、びっくりするじゃないですか!」
「びっくりしたのはこっちだよ!」
振り向けば、少年が立っていた。
「それは済みませんでした。…………失礼ですけど、あなたはこの森になんの用事で来たんですか?」
「いや、別に特に用事があるわけじゃないんだけどね」
「悪いことはいわないですから、今すぐに帰ったほうがいいですよ」
少年の言葉に疑問符を浮かべ、
「どうして?」
と聞き返す。
「知らないんですか? この森には最近、人を襲う獣が出るんですよ。殺されてしまった人も出ているほど、凶暴なやつです」
「ええっ、そうなの!?」
ぎょっとして言うと、少年は偉く真剣な顔で頷いた。
「そうなんです。出口まで送りますからついてきてください」
「ありがとね。…………えっとぉ」
「スウォンです。この近くで狩人をして暮らしています」
「ああ、成る程ね。スウォンは狩人だから。あたしよりは森に慣れてるから安全なのね」
「そういうことです」
そう言って森の出口まで案内してくれたスウォンに礼を言い、はスラムへと戻っていった。
スラムに戻った足でそのままアルク川へと向かうと、エドスがのんびりと昼寝をしていた。
「エドス、何してるの?」
「見てわからんか? のんびり昼寝をしてるのさ」
成る程、と頷いてエドスの隣に寝そべる。
川面に細波を立てる風がそのまま頬を撫で、優しい陽射しと相まってとても気持ちがよかった。
そんな風の中に一つの香りを見つける。
「……あれ、花の匂い?」
「気付いたか。ほれ、あそこの土手に咲いている花の香りさ。アルサックって名前でな、今がちょうど満開の季節になるんだ」
「うわぁ、桜そっくり」
薄桃色の花が咲いているのを視界に映して、ほぅ、と息を吐く。
桜。日本の春には欠かせない花だ。開花前線などの情報を事細かにニュースで流すほど、日本国民に愛されている。
「サクラ?」
「アルサックによく似た花だよ。あたし達の世界で咲いてるの」
遠くを見つめるようにしてはアルサックの香りを楽しむ。
「この花が開花するとみんなしてお弁当もってさ。花見に託けてどんちゃん騒ぎするんだよね」
「花見か…………そういえば、ここ最近はそんなことはしとらんなぁ。よし……久しぶりにやるか!」
「ええっ!?」
自分の言葉がそれほど重大なイベントに繋がるとは思っておらず、驚いては跳ね起きた。
「いいの、そんなこと決めちゃって?」
「ああ。それともは嫌か?」
エドスの言葉にぶんぶんと首を振り、
「寧ろそういうの好きだよー」
ニッと微笑めばエドスも笑い、さてとりあえず計画を、と言うところで草を踏む音が聞こえた。
ひょいと視線を向ければ見知った顔が三つ。
「よお、なに二人だけで盛り上がってんだよ。俺達も混ぜろって」
そう言って悪戯っ子のように笑うガゼルと、興味津々と言ったように耳を傾けるハヤト。その後ろでは苦笑を浮かべたトウヤが立っている。
「おお、ガゼル。お前も花見に行きたいだろう?」
「花? 一体なんの?」
「いやね、桜に似たアルサックって言う花があるから、花見しようってコトになったのよ」
「花見だぁ…………? わざわざ見に行かなくてもそこらに咲いてるじゃねえか」
むすっとした調子で言うガゼルに向かって、ちちちっ、と指を振るとは勢いを付けて立ち上がる。
肩を竦めると、
「風情がないわねぇ。モテないよ?」
等と言い放った。
「それは関係ないと思うよ、」
「トウヤ、これは大いに関係あるわ。ムードがなかったら女の子は落ちない!」
「…………そういうもん?」
たちの遣り取りに苦笑し、エドスも地面から腰を上げる。
「の言い分は解らんが、わざわざ出向くから感動があるのさ。満開の花の下で味わう酒と料理は、格別の味になるだろうさ」
「あ……そういうことだったら、俺も大いに賛成するぞ!」
酒と料理、恐らく料理の方に反応してガゼルもすぐさま賛成派に移る。その変わり身の速さに苦笑するガゼル以外の面々。
こうして花見とハヤト達歓迎会、そしてへの励ましの三つを兼ねた一大行事を行うことにした。