第4話 解けた誤解
異世界での朝は、いつもと何ら変わりがなかった。ただあるとすれば、見慣れぬ部屋でクラスメイトと二人、布団を並べて寝ていたことだけ。
隣で寝ていたを起こさないように気をつけながら扉を開け、廊下を歩く。
広間へ行くと、少女――――――――リプレが朝食を作っている音が台所から鳥の声に混じって聞こえてきた。
「早起きだなぁ…………」
呟きは欠伸をする。
普段なら惰眠を貪るような時間帯だ。少なくとも、平日はこうやって起きていることはない。
テーブルの上に顎を乗せ、そのほどよい冷たさに頬擦りする。
「アルミフレームのテーブルじゃあこうはいかないわよねぇ」
「あら、もう起きてたの? 朝、早いんだ」
リプレが台所からやって来ての顔を覗き込む。
「あ、そう言うワケじゃないけど。ちょっと目が覚めちゃって」
くぁ、と漏れた欠伸を手で隠しながらリプレの手を見る。
何かの生地のようなものが付いていて、先ほどまで作っていた何かを想像するのは簡単だった。
「…………ね、もしかしてパン作ってた?」
「あ、解った? うん、手作りなの」
「へぇ〜。手作りだなんて楽しみ♪」
どんなパンだろう、と想像しているとぱたぱたと足音が聞こえた。どうやら相当急いでいるらしい。
「きゃっ!」
足音と声の主は。どうやら廊下の途中で何かに躓いたかしたらしい。
苦笑しつつ広間の入口を見ると、息を切らせながら入ってきたと目があった。
「………………………………………………」
「おはよ、」
何事か考える素振りを見せ、は黙りこくる。
その様子をリプレと共に訝しんでいたは、次のの言葉で納得することになる。
「………………ああ、異世界に来ちゃったんだっけ、私達」
暫し唖然。
「…………………………ぷふっ」
堪えきれず、遂にが吹き出す。
それにつられリプレも笑いだし、笑われている当の本人は、何故二人が笑っているのか状況に付いていけない様子で首を傾げている。
「あははははーっ! 、可笑しすぎーっ!」
「ふふっ、自分の置かれてる状況を忘れるなんて、ってば」
「え、あの、なんで二人とも笑ってるの?」
「あははははーっ!」
「ふふふふふっ」
「え、あの、大丈夫……? 二人とも」
笑い続ける二人を心配しての言葉も当人達には届かず、笑い声が広間に響く。
それは他の住人が目を覚ますほどの大きさではなく、やがて自然に収まっていった。
「朝ご飯、どうだった? たいしたもの作れなくて、ごめんね」
「あのね、パンを手作りで美味しく作れる時点であたし達の世界じゃあ大したものなの。しかも他の料理も美味しかったし」
朝食を取り終え、リプレの言葉に謙遜だとでも言いたげな表情では返答する。
やれやれ、と肩を竦めて見せるとはに振り返り同意を求めてきた。
「うん、私もこれだけ作れたら凄いと思う」
にっこりと笑いながら言うの背後でふん、と鼻を鳴らして少年――――――――ガゼルは呟く。
「そりゃあ、タダで食うメシだもんなぁ。味の文句なんか、言えるわけねえぜ」
「なんですって!」
がたん、と椅子を鳴らして立ち上がったと好戦的な表情を浮かべたガゼルに挟まれ、が邪魔にならないように身体を縮ませる。
「あんたねぇ、あたしは本気で美味しいって思ってんのよ? 自分から自分の家族の料理を批判するような発言してどうするのよ!」
「ケッ、本当にそう思ってるのかはなはだ疑問だぜ! どうせ、タダ飯だラッキー、ぐらいにしか思ってねーんだろが」
「んなわけあるかーっ!」
「二人ともストーップ!」
そんなとガゼルの言い争いを止めたのは、ここの母親的存在のリプレだった。
二人の動きと口が止まる。まるで蛇に睨まれたカエルのようだ、等と思いながらは成り行きを見つめるしかない。
にっこりと微笑んだまま、しかし怒気をはらんだ空気を纏わり付かせてリプレが口を開く。
「ガゼル、憎まれ口をたたいてるひまがあるなら、まき割りでもしなさいよ。はと一緒に今後のことでも考えたらどうかしら?」
「は、はい…………」
「わ、解った…………」
リプレに恐れをなした二人はそそくさと離れ、ガゼルは庭に出るべく玄関へと向かっていった。
最強なのは果たして誰なのか。……………………言うまでもなく、リプレなのかもしれない。
腰に手を当てたリプレがとを振り返り、呆れたような顔で溜息を吐くと、
「ごめんなさいね。あとで叱っておくわ」
そう言って苦笑する。
それに手を振りながら、慌ててはリプレの顔を正面から見つめた。
「い、いいのよいいの! 売り言葉に買い言葉、あたしが喧嘩を買っちゃったから駄目なのよ」
ぶんぶんと音がするかと思うほど首と手を振り、身体を張ってリプレの言葉を否定する。
先ほどのリプレの態度とのギャップの所為なのか、ほんのり冷や汗が浮かんでいるようにも見える。
「だからリプレは気にしないで! ね?」
「ふふっ、解ったわ」
の必死さに少し笑いながら、リプレはテーブルの上の食器を片付けに掛かる。
かちゃかちゃと食器が触れ合う音を聞き、少し思案した後が片付けを手伝おうと手を伸ばした。
「あ、気にしないで。わたしがやるから」
「でも…………」
「あなた達は元の世界に戻る方法を考えてて」
リプレににっこりと微笑まれたらもう何も言うことは出来なかった。彼女は好意で言ってくれてるのだ。無下には出来ない。
大人しく引き下がるの肩に手を置き、
「ね、他に注意事項ってある?」
がリプレに聞く。
そうねぇ、と呟き考え込むと、当たり障り無く言う。
「なにかわからないことがあったら、遠慮しないで聞けばいいよ。私は台所で洗い物とかやってるし、レイドやエドスもまだ出かけてはいないはずだから」
「OK、わかったわ」
「あ、後それともう一つ。暫くはガゼルに近寄らない方がいいよ」
一番の注意事項とでも言うように右手の人差し指をぴん、と伸ばし、少しだけ眉を寄せた顔でに言う。
「暫く機嫌が悪いと思うから」
「………………………………………………おーけー」
リプレの迫力に負けたのかは定かではないが、弱々しく返事するに頷き、リプレは洗い物を開始するために食器を持って台所へと消えた。
肩を竦めると、それに苦笑するに、
「それから、絶対に二人だけで外に出たらダメよ。迷子になったら、大変だからね」
最後の言葉が掛けられた。
考える時間はたくさんあった。
ありすぎて何を考えればいいのか解らなくなりかけた頃、どちらからともなく溜息が漏れる。
「……………………暇、だね」
にへらっと笑いながらが呟く。
本当は暇だと言っている事態ではないのだが。
「実感が湧かないんだよね〜」
再び溜息。
軽く目を伏せると、穏やかな空気に身を任せる。どうしてもこんな時間帯に深刻なことを考えることは出来なかった。
「そうね、それにの場合、身体動かしていた方がいいんでしょう?」
「あ、解っちゃう?」
の言葉に苦笑しながらだらけて猫背になっていた背を伸ばす。
そのまま伸びを続行し、関節が数カ所鳴ってからは漸く腕を降ろした。
「あたし、受け身の状態ってどうしても嫌なのよねー。なんていうのかな、置いて行かれてるって感じがして」
もしくは仲間はずれのような。そんな感覚がゆっくりと包んでいく。
「解ってるわよ? 一刻も早く帰らなきゃいけないことぐらい。でも、解らないんだもん。帰り方も、何で呼ばれたのかも」
あの時聞こえた声が、何か鍵を握っているのは解る。
けれど、この街の中だけだとしても一体何人人がいるというのか。その沢山の人間の中からたった一つの声を探すのは無謀というものだ。
ふっと表情に影を落とし、は呟く。
「応えなきゃ、よかったのかな」
「そんなこと無い!」
ばしん、とテーブルが叩かれ、視線を上げるとが椅子から立ち上がってを見ていた。
両手はテーブルに叩き付けられたまま動きを失っている。
「応えなきゃいけなかったのよ。困ってる人を見殺しにするようなことしたら、きっと、今以上に悩んでた!」
だからこれでよかったのよ。
見たこともない迫力でそう言い放ったを物珍しげに見つめる。
この世界に来る少し前から、はに対して考えを改めていた。
大人しく、目立たない、地味な子。そんな最初の印象から、話すと意外にしっかりしていて、大事なときには大きな声も出す優しい子。今はそう印象づけられている。
「……………………………………そ、だね。あたし以上にあたしのこと解ってるね、は」
「だって、っていっつもそうだったんだもの」
クラスの端の方、一人で見ているとは中心にいながらも周りのことを気遣って、友人同士をちょうどいい距離に保たせていた。
別に行動を追おうとしていないの眼にもそれが映ったのだから、いつもそうなのだろうとは今も結論付けている。
にっこり笑いながらはを見て言う。
「少し身体動かしたら? また少ししたら考えよう」
「ん、ありがと」
にっ、と笑うとはゆっくり広間を出て行った。
廊下を歩きながらが最初に思ったのは、どうやってガゼルの誤解を解こうかということだった。
「少なくとも、への誤解はない方がいいよね」
ぐっ、と握り拳を胸の前で作ると庭へ向かうために玄関の方へ足を向ける。
と、前方に人影が二つ。
「あれ? えっと、レイド、さんと……エドス、さん?」
出かけようとしていたらしく、身支度は調っている。
の上げた声に気づき、人間――――――――レイドが振り向く。
「ああ、君か」
柔らかな物腰と言葉で、一瞬何処の優等生だろうと思ってしまう。相手は騎士のようだから、その言動は当たり前のことなのかもしれない。
「あの、大丈夫なんですか? エドス、さんの怪我」
「無理してさん付けしなくてもいいよ」
「そうそう。ワシ等も呼び捨てで呼ばせて貰うからな」
「あ、そうですか? だったら遠慮無く」
はたはたと左手を上下に振ってから真面目な顔で青年――――――――エドスを見る。
見たところ、これといった怪我はなさそうだが、打撲や骨折は見た目で解らないことも多い。
「で、エドスは大丈夫なの?」
「心配は無用さ。この通り、身体のつくりだけは頑丈なんでな」
笑って言うエドスを心配げに見、それから気づいたようには聞いた。
「えっと、お出かけ? 二人して」
「ああ、これからちょっと仕事でね」
「そっか、仕事をしないといけないのよね」
納得したように頷きながら玄関を二人と共に潜る。
レイドが片眉を上げてを見る。
「で、君はどうして外に?」
「あ、庭に行こうと思って」
「庭と言えば確か、ガゼルが薪を割っていたと思うぞ?」
「いーんですよ。それが目的なんです」
にへらっと笑うと二人を見送り、薪を割る音の方へと歩を進める。
カコンッ、と薪が割れる音が耳に一定の間隔で届く。
音の発生源にはもちろん、ガゼルが斧を振り上げて薪を割る姿があった。
「……………………あのさ、ガゼル?」
がその背に向けて声を掛ける。
それに対してガゼルは無反応。気持ちいいほど無視し、薪を割り続けている。
「あたし、確かに変な力あるけどさ。……ショーカンシってのじゃ無いから」
カコンッ、と薪を割る音が声を割る。
ガゼルの無視を気にしないことにし、は続けた。
「あたし達はそのショーカンシに喚ばれてこっちの世界に来ちゃっただけで…………。だからあんたが嫌いだっていうショーカンシじゃないのよ」
ガゼルの動きが止まる。
「あたしがショーカンシだって言うのは仕方ない。だって、変な力があるもん。………………………………でもね、のことは、そう言って嫌わないであげて」
身体の脇で握り拳が作られる。
どうしても、のことだけは解って貰わなければいけない。哀しい顔を、させたくない。
そんな想いで半ば睨みつけるようにガゼルを捉える。
「だから……」
「あーっ! うるせえなぁっ! お前等の事情なんか、俺には興味ねえよ!! 邪魔だからさ、どっか行けよっ!!」
イライラしたように頭を掻きながらガゼルが振り向く。
あからさまな、隠そうともしない敵意を前にして、それでもは怯まずに続けた。
「そうよ、あんたには興味ない話よ。でもね、あたしには関係あるの。大事な友達、こっちでまで傷つけたくないのよね」
「…………」
疑問の視線を投げかけられ、肩を竦めてみせる。
「仲間はずれだったのよ、あの子は向こうで。だから」
「………………………………アイツが仲間はずれにされなければ、お前はいわれのない迫害も受ける、と?」
「そうよ。あの子はずっとそうやって生きてきたんだもの。ここで少しくらいいい思いをしたっていいでしょ?」
胸を反らせながら偉そうに言ってみる。
自分も仲間はずれの加害者だ。だからこれは罪滅ぼしの一つ。
「ま、あたしすぐに出てくからさ。これ以上迷惑掛けられないし?」
見たところ、今までの人数でもいっぱいいっぱいでやってきたようだ。そこに二人も転がり込めば家計は更に悪化するだろう。
そう考えたのと同時に、は自分の力が怖かった。
エドスのように、またここにいる優しい人たちを傷つけるかもしれない。今度はあの位ではすまないかもしれない。それならば、一人の方がみんなも自分も、安全だ。
そう思ってしまっていた。
背を向けて、とりあえず庭を去ろうとするの背に声が掛けられる。
「…………待てよ」
「………………何?」
振り向けば真剣な目で見つめられていて。
「それであんた、ここを出てどうする気だ」
「何とかして元いた世界に帰ろうと思ってるけど」
「アテはあんのかよ?」
「………………………………無いよ」
の言葉に溜息を吐き、ガゼルは肩を軽く竦めた。
「要するに、だ。俺が言いたかったのは恩知らずな奴は許せねえってことだ。あんたが何者だろうと、リプレやレイドに感謝する気持ちがあるっていうんなら」
「あるんなら?」
ガゼルは再びに背を向け、薪割り用の斧をしっかりと握る。
「……………………別に、今すぐ出てけとまでは言わねえよ」
「………………………………………………ありがと、ガゼル」
「ケッ、勘違いするなよ! 俺はあんたのことをこれっぽっちだって信用してねえんだ。仲間の親切を裏切るようなことをしたら、ただじゃおかねえからなっ!!」
「解ってる。うん、裏切らないよ」
うっすらと笑みを浮かべてガゼルの背を見つめた後、くるりと背を向けては庭を立ち去った。