第2話 見知らぬ世界










「……………………うーん」
 微かに唸り声を上げて先に身体を起こしたのは、だった。
 ぼうっとした頭で暫しその場に座っていると、漸く先ほどの光を思い出す。
「あれは、一体…………」
 呟き、そう言えば誰かの手を掴んだようなと思い至る。
 恐る恐る辺りを見れば――――いや、見なくても自分が未だ掴んでいる手に気付けばよかったのだが――――に手を掴まれたまま倒れているの姿。
 一瞬にして血の気が引く。
「ちょっ…………! 、しっかりして!」
 狼狽えながらその身体を揺すると、微かに身動いだ。
 安心して揺するのをやめると、が目を覚ました。元の暗緑色の瞳。
「……………………。よかった、無事だったのね」
 安堵した明瞭な発音の声。実際に安堵しなければならないのはなのかもしれないが。
 の言葉に頭をぶつけたなどの可能性を捨て、はまだ掴んでいたの手を離す。
 辺りは見たことのない風景。まるで、クレーターの底にいるかのような地形だった。
「ここはどこなのかな?」
「何かの穴の底みたいだけど…………」
 が呟くが、も呟いた自身も明確な答えを持っていない。
 呆然とその場に座り込んでいたが、徐には立ち上がるとに手を差し伸べた。
「とりあえず、ここから出ることが先決よ。…………行こう」
 差し伸べられた手を掴んで立ち上がると、ふとの目に留まるキレイな石。
 それに目を奪われていると、立ち止まったままのに不信感を持ったも石に気付いた。
「うわー、キレイな石〜。色んな色の石がある〜」
「あちこちに飛び散っているみたい。………………ほら」
 が指さした方向には、確かに飛び散ったらしい石が幾つかあった。
 がにんまりと笑う。
「ねねね、何種類か持って行こうよ? 宝石かもしれないし、何かの役に立つかも」
 の提案に驚く。だが、反対する理由はない。
「そう、ね。じゃ、持って行こう」
 五種類の色をした石を何個かずつ持って、クレーターの斜面を登る。
「な……………………っ!」
 そこには、絶句するに相応しい光景が広がっていた。
 地面に横たわる、自分たちと違う格好をした人々。地面に描かれた不思議な文様。あちらこちらに散らばっている石。
 呆然と。ただただ呆然と事実を見つめる二人。
「…………………………ウソでしょ?」
 が呟いた。
 地面に横たわっている者達は、全員身動ぎもしない。息をして胸が上下することもない。目を開けて起きあがることもない。
 何も出来ない、無力な骸。
 それを目の前にしたまま、二人は何も言葉を発せられずにいた。
「…………ねぇ、誰か返事をしてよ」
 がふらりと前に一歩踏み出す。
「ここはどこなの? あたし達は一体どこへ来たの?………………無責任よ、あたし達に何も説明してくれないなんて」
 握りしめられた拳を身体の横で震わせながら、は呟き続ける。
 はただ、それを心配そうに見ているだけである。こんな時に掛けるべき言葉なぞ、持っていないのだから仕方がないのだ。
「無責任すぎるよっ!」
 感情が臨界点に達したのか、走り出す
「あ、待って!」
 慌てても後を追って走り出す。
 なりふり構わず走ると、それを追う。元々の体力差もあるが、何も考えずに走るの方がやはり速かった。
 息を切らしながらの走る方角を見ると、一つの街のようなものが見えた。
 外壁に囲まれたその街は、異様な雰囲気を纏っていて。
 ほんの少しだけ、は走る速度を落とした。















 外壁、というより城壁に近いような壁の崩れた一角。
 そこからはその街に入って行った。
 もちろん、後を追うも中へと入る。
 足下の瓦礫に足を取られながらも、の姿を見失わないように急ぎながら、は前を見た。
 新聞やテレビで見たことのあるような町並み。一般にスラムと呼ばれる場所。
「貧民層…………。でも、」
 自分たちの常識は当て嵌まるのだろうか。
 見たことない服装の人間が倒れていたのを、今し方見たばかりなのだ。そして、家の外観も自分たちの知っているものとは違うようだ。
 異世界に来てしまった、とでも言うのだろうか。小説のように、漫画のように、ゲームのように。
 溜息を吐きながら、の後ろ姿を見る。どうやら、立ち止まっているようだ。
「はぁ、はぁ……………………。ここまで来れば、大丈夫かな…………」
「何が大丈夫なの?」
 後ろから声を掛けると、こちらが驚くほど勢いよく振り向いた。
 の顔を見、安堵の息を漏らす。
「なんだ、か…………」
 なんだじゃないでしょ、等と呟き頬をふくらますを苦笑混じりに見て、それからは周りの景色を見た。
「ここ、どこなんだろ? あたし、何にも考えずに走って来ちゃったからわからないんだよね」
 の様子に溜息を吐く。
 どうやら、を忘れていったこともそれが原因のようだった。
 しかしそれは無理もない。あんな惨劇を見た後なのだから。
「そうね、街だったわ」
 は自分が見たものをに説明する。
 ここが、城壁のような壁で護られた街だということ。先ほどの場所は荒野で、それほど遠くないということ。崩れた壁のところから自分たちは入ってきたのだということ。
 大人しく聞いていたは、しゅん、と項垂れる。
はちゃんと見てたんだね…………。あたし、自分が恥ずかしい」
の反応が普通だと思うけど。私のは、特殊なのよ」
 苦笑しながら言い、の肩に手を置く。
「とりあえず、今までの出来事を振り返ってみよ」
 そうだね、との言葉に頷き、先ほどまでの出来事――――――――ここに来た原因から考えることにしたのだった。
「何が原因でここに来たんだろうね、あたし達。やっぱり、あの【不思議な声】の所為かな」
 の言葉に、そうかも、と頷く。
「きっと声に導かれてきたんだわ。まったく、人騒がせな声よね」
 そう言いながら膨れるを見て、一緒にいたのがでよかったと心の中で呟く
 まだ膨れたままのを見ながら、は考える。
 声に応え、急に光で白く塗りつぶされた視界。身体がエレベーターで下に降りるときのように身体がすうっと軽くなって……………………。
「…………駄目だ、これ以上思い出せない。記憶が途中で途切れてる」
 それも仕方のないことなのかもしれない。何せ、荒野にあったクレーターの中心部では倒れていたのだから。
 そこまで考え、表情に影が差す。
 をこの世界に連れてきたのは声ではない。自分がその手を掴んでしまった所為で、巻き込まれるようにしてこの世界へ来てしまったのだ。
? どうかした?」
 黙って俯くを心配そうに見つめる
「………………ごめん、
 ぽつり、と。
 掛けられた謝罪の言葉にが目を丸くする。
「え? あ、私、何かにされた? 何もされてないわよ?」
「ううん、巻き込んじゃった。巻き込んで、この世界に連れて来ちゃった」
 だから、ごめん。
 そう言うに呆れたような視線を向けて。
「あのね、最初に手を伸ばしたのは私なのよ。だから謝らないで。…………それに、ほら。私って『死神ユダ』でしょう?」
 だから、不測の事態には慣れてるつもり。
 にっこりと笑みを浮かべたに安心し、は笑い返す。
「『死神ユダ』はいただけないけど、が一緒でよかった。…………そだ、あたし達さ、声に呼ばれたわけでしょ? 声の主を見つければ元の世界に帰れるわよ!」
 そう言って活発に笑うを見て、は頷く。
「そうね、きっとそうよ」
 二人で頷きあい、周りを見る。
「どうやら、スラムみたいね」
「あ、もそう思う? 私も、スラムにしか見えなくて」
 うーん、と呻っていると、二人を見つめる視線に気付く。
「…………!! そこにいるのは誰!?」
 急にある一角に向かって言い放ったに驚いて、もそちらを向く。
「へえ、いいカンしてるじゃねえか、あんた?」
 現れたのは、少年。短く切られた髪の色は、二人のものとは違った。
 異世界の住人。そう呼ぶに相応しい格好。恐らく、二人のいた世界とは異なる材質であろう服。そしてデザイン。
 しかし何より、その少年の後ろから現れた巨漢に二人は目を奪われる。
「デカっ……………………」
 呆然と呟く
 本当はさほど大きくはないのだろうが、分厚い胸板や盛り上がった筋肉が、圧力を持って二人に青年を大きく見させていた。
「ついでにワシらの目的もわかってくれると、手間がはぶけていいんだがなあ」
 青年が身体に合っているような声で言う。
 顔を見合わせる
「あり金全部、俺たちに渡すんだ。そうすりゃあ命だけは助けてやる」
 少年の言葉で納得がいく。
「チンピラだ!」
「ちょ、!」
 慌ててを諫める。が、時既に遅く。
「なんだとっ!?」
 少年の耳に届いてしまっていた。
「まぁまぁ、ガゼル。落ち着こうじゃないか」
 青年が少年を諫める。その様子に、少しだけ親近感が沸いた。
「ケッ。…………まああいい。あり金全部、俺たちに渡すんだ。そうすりゃあ命だけは助けてやる」
 その言葉に眉を顰めるはまた何かやらかしはしないかとハラハラものだ。
 そして、やはりは言い放ったのだ。
「うっわお決まりn」
 幸い、身構えていたが言っている途中で口を塞ぐことに成功したが、少年の表情は更に険しくなっている。
 そんな顔をされたのでは、やはり言う通りにしなければ命は危なくなるだろう。
「わ、わかりました。今、お金を出します」
 は財布を取り出すと、地面に持っている自分たちの世界の金を出す。使えるかどうかはわからないが、一応出せと言われているのだから出した方がいいのだろうという判断で、だった。
 暫く地面にばらまかれた金を見つめる少年と青年。
 やはり駄目か、とが思ったとき、少年が口を開く。
「………………なんだこりゃ? おい、俺たちは紙きれや鉄クズをよこせなんて言ってねえぞ!!」
 どうやら、この世界の金は紙でも鉄でもないらしい。それがわかっただけでも収穫だろうと思ったところに。
「そんなこと言ったって、あたし達この世界のお金なんか持ってないんだから仕方ないでしょ!」
 威張るように言う
 向こうの二人組もの強気に押されてぽかんとしている。
 先に正気に戻ったのは青年の方だった。
「…………な、なにをわけのわからんことを言ってるんだ?」
 青年につられ、少年も調子を取り戻す。
「ど、どうも俺たちのことをなめてるらしいな。おい、かまわねえからちょっと遊んでやれ」
 隠れていた他の人間が二人、出てくる。恐らくも何もこの状況では、の味方ではないだろう。
 それを見て初めてが慌て始める。
「ちょ、ちょっと! カヨワイ女の子達に暴力をふるうワケ!?」
「ケッ。何処がか弱い女の子、だ」
 十分図太いじゃねえかよ。
 そう言い放った少年に、はバッグを探る。
「そっちがその気なら、あたしだって……………………」
 そう言って取り出したのはペーパーナイフ。
「……………………!?」
「ペーパーナイフだって立派な刃物なんだからねっ! 近づいたら痛い目にあわせてやるから!」
 少年は一歩たじろぐ。の迫力は、それほどまでに凄かった。
「や、やっちまえ!」
 少年の言葉に、後から出てきた二人がの方へ向かう。
「やぁっ!」
 宣言通り、ペーパーナイフを振るい、ダメージを与えていく。敵二人の攻撃は、ギリギリのところで躱している。
 それをハラハラと見ているしか出来ないは、せめて邪魔にならない場所に身を置いた。
 男二人を気絶させたは、少年の方に向き直る。
「あんた達、口では悪ぶってるけど実はそんなに強くないでしょ?」
 あたしにやられるんだもんね。
 そう言ったに、半ば呆れた視線を送る
 少年はと言うと、
「くそっ! どいつもこいつも、だらしがねえ。……………………さがってな。俺がカタをつける!!」
 そう言ってナイフを取り出した。
 相当の言動が頭に来ているらしい。
「な、ナイフ…………っ!」
 少年の行動に青年が顔を顰める。
「おいおい、ガゼル。殺すのはマズイぞ」
「そこまではしねえよ。………………半殺しぐらいでまけておいてやる」
「それ全然まけてないから!」
 思わず少年の言葉に突っ込むだったが、その瞳を見て思わず尻込みしてしまった。
 本気の瞳。今言ったことを、確実に実行しようとする瞳。
 一歩だけ、は後ろに下がる。
「…………………………いっ」
 言葉が漏れる。
 感情が漏れる。
 恐怖が漏れる。
「イヤあぁっ!!」
っ!?」
 の叫びと同時に、光が勢いよくその場に現れる。
 どうやら、光はから出ているようだった。
「な……っ!?」
「まずいっ!!」
 光に驚いた少年を庇うように、青年がと少年の間に割って入る。
 そして、その身体が光によって木の葉のように吹き飛ばされた。
「ぐわああァッ!」
 近くにあった瓦礫に身体をぶつけ、青年が苦痛の声を上げる。
 呆然と、その様子を見つめる
「い、今のは………………がやったの?」
 近くにいたが、幸いにして何の影響もなかったが、ただただ呆然としていると瓦礫へ吹き飛ばされた青年を交互に見ながら呟いた。
 少年が青年を吹き飛ばしたを睨む。
「てめぇ…………。よくもやってくれたな、絶対に許さねえ!!」
 ずかずかと近づき、今にも掴みかからんばかりの勢いで少年が言葉を吐き出す。と同時に、
「そこまでだ、ガゼル」
 別の人間の声がした。
 先ほど倒れた青年の声ではない。別の人間がこの場に現れ、絶妙なタイミングで少年を止めたのだ。
「レ、レイド…………」
 少年の顔に僅かに焦りが浮かび上がる。
 この時とばかりにに駆け寄り、事の次第を見守ることにした。
「なんでだよ!? こいつのせいでエドスはやられたんだぞ!!」
「こっちが先に手を出したんだ。身を守ろうとした彼女は悪くない」
 少年が人間に食って掛かる。それを軽く躱しながら、人間は瓦礫の山で倒れている青年に近づいた。
「ぐっ……………………。ずっと、見てたのかよ」
「まあ、な」
 しゃがんで青年を診ていた人間は徐に立ち上がると、少年を見る。
「それにエドスだったら気絶してるだけだ。ちゃんと息もある」
「…………わかったよ」
 安堵の息と共に漏らされた言葉に人間は苦笑し、たちの姿を捉えて真顔になる。
「とんだ言いがかりをつけてすまなかった。許してくれないか」
「えっ? あ、はい」
「とんでもないです、私達が気に障っちゃっただけで…………」
 そんな二人の様子に人間は目を細め、尋ねた。
「ところで…………。見かけない顔だが、君達はどこから来たんだ?」
 人間の言葉に、顔を見合わせる
 暫し間を開けて、意を決したかのようにが口を開く。
「実は…………わかんないんです」
「はぁ?」
 の言葉に少年が間抜けな声を出す。
 キッと少年を睨むの代わりに言葉の後を引き継ぐ事になり、がどう言えばいいのか困ったように視線を下げる。
 結局いい言い回しが見つからなかったらしく、そのまま正直に答えることにした。
「少なくとも、こことは違う世界だとは思うんですけど………………」
 と少年の睨み合いの最中、真面目な顔をして人間は呟いた。
「…………なるほどな」
 何か思い当たることがあるらしい人間は、と少年の睨み合いを止め、、二人に向かって言った。
「ついてきなさい。君達の知りたいことは、少しぐらいなら説明してあげられると思う」
 顔を合わせ、しかしもちろん断る必要もない。
 は頷き合うと、青年を支えて歩く人間と少年の後を追った。