「Phialフィアーラ」と金色の飾り文字で店名が書かれた扉を開けると、高音の鈴の音が聞こえた。
 香りを扱っている店によくあるような、扉を開けた途端に強い様々な香りが混ざった複雑な香りが届く、ということはなく、ただ店内には色々なアトマイザーや香水瓶、その他香りに関係するものが存在していた。
 教室ほどの広さの店内は落ち着いた照明で照らされており、壁際の商品棚や通路を作るように置かれている透明な商品棚をやんわりとした雰囲気が包み込んでいる。
 商品棚には沢山の色が溢れ、照明や陽光で輝いていた。
 入口から真っ直ぐ奥を見るとすぐにカウンターが見える。そしてその隣には磨りガラスが填め込まれた空色の扉。扉には「調香所」という銀色の飾り文字。
 恐らく空色の扉の向こうには様々な香料が置かれているのだろう。
 しかし、店内に入ってすぐのその空間には既存の香水というものは存在していなかった。
 否、香水を入れる容器ものはあっても、その場所に香水と呼ばれる中身ものが無いのだ。
 そんな不可思議な店内に先頭で入ってきたは小さく感嘆の声を上げる。
 が眼を奪われたのは色とりどりのアトマイザー。店内の照明や窓から入ってくる陽光によってきらきらと輝き、まるで宝石のように見える。
「綺麗……」
「凄いね、ここ……」
「香水屋だって言うからもっと強烈な匂いが充満してるのかと思ったわ……」
 京子と花もそれぞれが感嘆の声を漏らしながら店内を歩き回る。
 も歩き、アトマイザーが置かれている一角へと向かう。
 そこで夜明け前の空のようなグラデーションのアトマイザーを手に取ったとき、店の奥、カウンターの隣にあった扉が開き、女性が一人出てきた。
「いらっしゃい、お客さん達」
 どうやら店の人間らしい女性は微笑むと、カウンターの向こうに置かれていた椅子へと腰掛ける。
「今日はどういうご用事で?」
「あ、えっと、母の香水を取りに来ました」
「……ほぅ?」
 にこりと微笑んだ女性に言えば、笑みの質を少し変えられる。
 初めてやってきた客に向ける優しい笑みから、少し悪戯っ子のように見える笑みへと。
 何でだろう、と思いながら次の言葉を待てば、案の定母親の名前を聞かれる。
 一人一人のオリジナルフレグランスだ、持ち主の名前で登録されているのかもしれない。
「お母さんの名前は?」
です」
! 驚いた、だって!」
 いきなり女性が大声を上げた。
 驚いて固まる三人に構わず、女性は更に続ける。
「ってことはあんたがちゃんかい?」
「え、あ、はい、そうですけど」
「まーびっくりだ。こんな大きくなっちゃって。時間が経つのは早いなぁ。……ああホントにびっくりだ」
 聞かれたことに素直に頷けば、更に女性は自分だけの世界へと旅立っていく。
 知り合いなのか、と言う眼で花に見られ、慌てては首を横に振って否定の意を表す。
 にしてみれば、女性が自分のことを知っているのも充分驚きなのだが、何故名字でそこまで驚くのかと言う疑問の方が大きかったりする。
「あ、あの……?」
 恐る恐ると言った風に、まだ驚いたと言い続ける女性へ京子が声を掛けた。
「……ああ、悪かったね。ついつい驚きすぎて忘れるところだったよ」
 忘れないで欲しい、という思いを苦笑だけで現しながら、はカウンターへと近寄る。
「母の知り合い、ですか?」
「まぁね。知り合いって言うか……友達ってとこ」
 苦笑混じりに言われ、あまり話したくないのだろうかとは首を傾げつつ話を本題へと戻した。
「それで、母の香水、貰えますか?」
「もちろん」
 頷くと、女性は少し首を傾げてを見やる。
「……入れ物は持ってきてなさそうだね。うんまぁいっか」
 ひょい、と立ち上がると、女性は壁際の棚の影に隠れていた空色の扉とは違う別の扉を開け、中へと消える。
 扉の向こうは暗闇で、達には奥に何があるのか見えない。だが女性が入っていったということは、中に香水に関係するものがあるのだろうと結論付け、はなるべく気にしないように扉の向こうから目を逸らす。
 暫くしてから小さな足音と共に、女性が小さな薄ピンク色の小瓶とそこに入った液体を持って暗闇から出てきた。
 微かに甘めの匂いがするのは恐らくその香水瓶から匂いが漏れだしている所為だろう。
「これがその香水だよ。お代は千円ね」
「安ッ!」
 思わずが突っ込めば苦笑を返された。
 確かにこれは安い。破格の値段だ。普通は一万を超えるだろう。
「安価で質がいいのが売りだからねぇ」
 からからと笑う女性に達は思わず顔を見合わせ苦笑してしまう。
 そんな三人を見て女性は苦笑を楽しそうな笑みに変えて口を開いた。
「どうだい、折角だからお嬢さん達もオリジナルフレグランス、作ってかない?」
「え、いいんですか?」
 驚いて問い返す京子。
 それに女性は頷くと空色の扉の方へ視線を向ける。
「この店の香水は全部お客オリジナルだからね。お客が気に入るように自分で作らせるのさ」
 その方が後腐れが少ないだろう?
 言ってウィンクした女性には少し脱力しつつも、お願いします、と声を掛けた。
「ところで、香水を作るのはいいんですけど材料は何処に?」
 花が尤もな疑問を上げれば、女性は悪戯っ子のような笑みを浮かべて、付いておいで、と言って三人を誘導した。
 通されたのは空色の扉。その向こうにはやはり大量の香料があった。
 その量の多さに眼をしぱしぱと瞬かせ、圧倒される達三人。
 通された部屋の壁が150cmの人なら手を伸ばせば届くという所まで、びっしりと香料を置く棚になっているのだから仕方がない。
「さあ、好きに作ってくれ。ちなみに作った材料と何滴入れたか、ってのをメモしておいてくれれば次から同じのが作れるよん」
 女性がそう言えば、暫く逡巡していた京子と花も、それぞれの香水を作るのに香料の方へ向かっていった。
 そうして一人傍らに残ったに女性は首を傾げる。
ちゃんは作らないの?」
「あ、いえ、作るんですけど……」
 言い淀むに更に女性は首を傾げる。
「レシピを言うんで、作って貰えませんか」
 プロが作った方が間違えないでしょうし。
 そう続けられたの言葉に女性は軽く眼を瞠った。
「もうオリジナルで持ってるってこと? はー、つくづくオネーサンびっくり」
 肩を竦めると、女性はしげしげとを観察してから香料の方へ進む。
 突然歩き始めた女性に慌てては付いていくと、その途中女性が口を開いた。
「じゃあ二つ約束してくれるかい? 一つ、レシピはあたし以外に話さない。二つ、香水を他人に分け与えない。……それだけは守って」
 何故そんな約束をさせられるのかは解らないが、とりあえずは頷いた。
 もとより自分と向こうの友達のための香水なのだ。この世界の誰かに同じものを持たせる気は無かった。
 よし、との様子に頷き返すと、女性は手早く素早くのレシピ通りに香水を作り上げる。
 柑橘系の香りを主とした、甘い香りが抑えられた香水。
 それをが持ってきたアトマイザーへと入れると、一度女性は部屋の外へと向かう。
 戻ってきたときにはその手にノートと二種類のペンを持っていた。
 ノートの真っ新なページを開き、女性はに聞く。
「香水の名前って、決まってる?」
「いいえ」
「じゃあ決まったら教えてね」
 サラサラと一本のペンでの名前をノートに書き込み、もう一本のペンで今度はレシピを書き込んでいく。
 書き込まれたレシピは、インクが乾くと共に消えていった。
 同じことを香水を作り終えた京子と花にも行い、女性は言う。
「あたしはステラ。ステラ・ポラーレ。この店共々よろしく」
 軽くウィンクをしてステラは京子と花に何処にでも売っているような平凡なアトマイザーに入れた香水を渡すと、瓶と香水代として千円を京子と花から、香水代だけとして五百円をから受け取った。
 本当に安いんだ、と感激しているを連れて京子と花は店を出る。
 その背を、ステラは店の扉の前で手を振って見送った。


























 の香水のレシピが書かれたページを開きながらステラは呟く。
「なんだかホント、ホワホワした子に育ったね」
 呟きに答える声は、
「いいじゃない、可愛くて。子供は天使なのよ〜?」
 ――――――――あった。
「誰の受け売りさ」
 ウンザリした調子で言いながら顔を上げたステラの眼に映ったのは、紛れもないの姿。
 肩を竦めて、さあね、と嘯くにステラは溜息を吐かざるをえない。
「で、ちゃんのお披露目のためだけにこっちに来させたのかい?」
「それ以外に意味でもあるかしら? 葬香師そうこうしさん」
 もう一度溜息を吐くと、目を閉じてステラは先程やって来た少女の姿を思い浮かべる。
 その小さな肩には、定められた運命は重そうで。
「…………潰れないといいけどね」
「潰させないわ。たとえどんな手段を使っても」
「その為の逃げだった?」
「ええ。一時期だけでも逃げれば、心に余裕が生まれるでしょう?」
「………………逆効果になっていないことを祈るよ」
 ぱたり、とレシピノートを閉じた音と共に目蓋を上げれば、先程まであったはずのの姿はそこにはなかった。








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