九月二十一日金曜日。
空は雲一つ無い快晴。燦々と太陽の光が降り注ぐ、絶好の体育祭日和。
…………とはいうものの。
実際雲がないと直射日光でかなりきついことこの上なかったりする(あれ、これでいいんだっけ、日本語)。
応援席で応援しているのだって、日陰がないから暑い。九月なんてまだまだ残暑が厳しい時期だ。一体何処の誰がこんな月に体育祭なんかをやることに決めたんだろう。
溜息を吐きたくなりながらも、私は選手入場口に並んでいた。
これから午前の最後にしてメイン競技、借り物競走が行われる。私はそれに選手登録をしてあったのだ。昨日のことですっかり忘れていたのだけれど。
A組優勝のため、一丸となって応援席の前の方に必要そうな物を持ち寄ってある。BやCも同じようにしているけれど…………実を言うと、先程から嫌な予感がしていたりする。
「当たらないで欲しいなぁ」
勘なんて外れて欲しい。超直感とか。
嘆いても始まらないので、仕方なく私はアナウンスを待つ。
『これより、借りモノ競争を開始いたします』
待っていました、と近くにいた男子が言う。確か、陸上部のクラスメイトだ。
『それではルールを説明いたします』
……うん。
なんだかこの口調、あんまり好きじゃないんだけど。
『例年とは違い、今回の借りモノ競争は借り者競争と致します。選手全員が紙を引き、そこに書かれていることに当て嵌まる人物を連れてゴールを目指してください』
ええと、つまり借り物競争の人物版?
それって結構大変なんじゃあ……。というか、発案者誰だ!?
いや、多分アイツだ。絶対アイツだ。リボーンしかいない。こんなハチャメチャな発案、アイツ以外に誰がする! あ、お母さんもしそうかも…………。
あれ? 私の周りってそんな人が集まるの?
説明はまだ続く。
『尚、順位に拘わらず、その人物を連れてくる難度によって得点が変わってきます。難しければ難しいほど、加算される得点は高いので、皆さん頑張ってください』
生徒会の人が箱を持ってこちらに近付いてくる。多分、その箱の中に人物指定の紙が入っているんだろう。
目の前に来たので引くと、合図があるまで開くな、と念を押される。でも多分、開いてもスタートの合図がないからすぐに行けないと思うんだ。
『それでは、開始!』
合図と共に、各々が引いた紙を開いて確認する。私も例に漏れず、四つ折りにされていた紙を開いて中を見――――――――止まってしまった。
勢いよく周りの人達は走り出していくけれど、私は足を動かせずにいた。
だって、だって!
神様、これはなんの試練ですか!?
放送席で実況が行われているけれど、そんなもの、耳に入ってこなかった。
マイクを持ってこっちに近付いてきたけれど、そんなもの、視界に入ってこなかった。
『出ましたぁーっ! 超ハズレ! 死刑宣告!』
私の紙に書かれていたもの。それは。
風紀委員長。
それが示す人物なんて、この並盛中学にはたった一人しか存在しない。他に存在するはずがない。
黒い獣。孤高の雲。そんな言葉が似合う人なんて、彼しかいない。
『引いたのはと名高い、最近話題のだ! これはもう、不運としか言い様がない!』
実況者の声なんて、半分も入ってこなかった。漸く動かすことに成功した身体が、どうしよう、という私の思考を置いてあの人を捜す。
ぐるり、と回された顔が、目が。校舎の方にいる雲雀さんと合った。
鼓動が跳ね上がる。漆黒の瞳から目が逸らせなくなりそうだ。気持ち的にはふらりと、けれど実際にはしっかりした足取りで、私は雲雀さんの方へと歩いていく。
咬み殺されてしまうのでは、という恐怖は、何故か無かった。
ざわざわとしたギャラリーを掻き分け、雲雀さんの元へと向かう。
「やあ、」
「……こんにちは、雲雀さん」
ほんの少しだけ口端を上げ笑みを形作ると、雲雀さんは私の手の中にある紙に視線を落とした。
「まさか君が引くとはね」
「許可したんですか」
「うん。連れに来た奴を咬み殺そうと思って」
でも君じゃ咬み殺せないな。
そう言うと、雲雀さんは私の手を取って歩き出す。人混みが面白いように割れた。
雲雀さんは何故か私に甘い。異様に甘い。それはもう、凄く甘い。
だって漫画の中の雲雀さんと同じような性格なら、私が来たところで咬み殺すはずだ。それなのに、こうやって私の手を取って歩いている。
…………手を、取って?
私は内心叫び声を上げた。
だって、あの恐怖の風紀委員長様と手と手を取りあってゴールへ向かっているんだよ!? これでパニックにならない女子がいるか!? 男子だっていねーよ!
顔は整っているし、喋っても綺麗な声してるし、でも性格は凶悪だし、群れてると咬み殺されるし、風紀を乱すと咬み殺されるし、この細腕の何処にあんな馬鹿力が隠されているんだと言いたくなるしっ。
周りが引くのも解る。とても解る。寧ろ私も引きたい。
でも現実は優しくないのだ。
「ねえ」
「なんでしょうか」
手を引かれながら歩いていたはずなのに、いつの間にか雲雀さんは訝しげにこっちを見ている。もちろん、足は止まっている。
「熱、あるの?」
「ねつ?」
きょとん、として聞き返してしまう。
ねつ、熱……? いや、私熱出てるのか?
「どうでしょう…………?」
「解らないの?……ああいや、うん、君は昔からそうだった」
……………………………………何でこの人こんなことまで知ってるんだよマイマザー! 家族ぐらいしか知らないのに!
ってコトは何か、お母さんと雲雀さんは知り合いか? 知り合いなんだな? はい決定!
なんなんだろう、平和とか日常とか言う言葉からどんどん離れていってるよ。
「仕方ないね、無理させたくないし」
ふと、雲雀さんの言葉が耳の側で聞こえた。
と同時に、私の身体が浮き上がる。
「どぅえぇぇぇっ!?」
「何その色気のない声」
「中学生に色気を求めんでください!」
「じゃあせめて女の子らしく叫びなよ」
「今更叫びなおせってか!?」
「そうは言ってないでしょ」
いきなりの事態に更にパニックに陥り、なんか変な言葉遣いが次々に口から飛び出ていく。それに律儀に、しかも怒らずに言葉を返す雲雀さん。……やっぱり甘い。
周りの人間は明らかに固まっている。私の言動にも、雲雀さんの言動にも。
「静かにしててよ。このまま運ぶから」
「何処まで!?」
「まずゴールに。それから保健室」
「いや私には棒倒し総大将という義務がッ」
何故か姫抱きで私を連れて行こうとした雲雀さんが、私の言葉に止まる。
そして不可解なものを見るような目で見下ろしてきた。言いたいことは解っている、つもりだ。
「…………棒倒しって男子の種目なんだけど」
ほら、やっぱり。
「私、この学校では男子の授業受けてますから」
風紀委員ならばすぐに調べが付くはずのことだ。というか、普通は許されないよね、女子が男子制服着用って。風紀乱してるし。
「それとこれとは別でしょ」
「別じゃないんですよ。体育だって男子の方だし」
「……………………水泳も?」
「あ、それは女子です」
というかあんたは何を気にしてるんだ!
その問いに少しは満足したのか、雲雀さんはまた歩き始める。周りはまだ固まっているようだった。お気の毒に。
悠々と歩いてゴールすると、雲雀さんはそのまま私を持ったままA組の応援席へと向かう。
そこで漸く、周りの人達が復活した。
『………………………………………………なんと言う大番狂わせーっ! あのが、不運としか言い様の無かったはずの「借り者」、風紀委員長をあっさりと連れてきてしまいました! 無理だと思われていただけに、もの凄い高得点がA組に加算されます!』
「……五月蠅いな」
実況の声に未だ私を持ったままの雲雀さんが小さく呟いた。はい、私も同感です。
って言うか絶対、あの実況、ウチのクラスの人間だ。声に聞き覚えがあるぞ。
とすり、と私の身体をいつの間にか着いていたA組応援席の椅子の一つに座らせ、雲雀さんは私を見下ろして口を開いた。
「棒倒し、出てもいいけど無茶しないようにね」
「はい」
こうやって雲雀さんに心配してもらえるなんて、凄く不思議な気分だ。不思議だけれど、嫌ではない。寧ろ嬉しい。多分あれだ、他の人に懐かない猫を自分だけが懐かせることが出来たような、そういう優越感だ、きっと。
最後にくしゃり、と私の髪を撫でてから雲雀さんは去っていく。と、大慌てで逆方向から獄寺君が走ってきた。
「十代目、ご無事ですか!?」
「ご、獄寺君……」
無事、って。雲雀さん、私に甘いみたいだから大丈夫なのに。
「くそっ、ヒバリのヤロー……」
「いや、無事だから! 全っ然無事だから! ほら、何ともないから! 落ち着こう、ねっ?」
私の返事がなかったから変な方向に考えてしまったらしい獄寺君を現実に引き戻すと、私は彼の腕を引いた。
「ところでさ、獄寺君」
「はい、何でしょうか十代目」
うわぁ、凄いにこやかな笑顔だよ……。
リョーコちゃんが前、「獄寺は犬属性ね! 絶対!」って言ってたのが凄くよく解る。自分に向けられると特に。
「あのね、今の借り者競争でA組、どれぐらい得点獲得したの?」
「はい、残りの競技全部負けてもA組が勝利できます」
…………わお。
流石恐怖の風紀委員長。誰もが連れてくるのは無理だと思ってたんだろうな。実際、私もそう思ったけど。
でもやっぱり、勝負は最後まで頑張らないとね。
なんて思っている間に、借り者競争は無事に怪我人もなく終わったらしい。一緒に出ていた山本も笑顔で帰ってくる。
「お疲れ、山本」
「おう、もな」
ニカッ、と笑うその姿に、太陽並みの眩しさを覚える。
「しっかしスゲーよな、。ヒバリを見事に連れて来ちまうんだもんな」
「当たり前だ! 十代目に掛かったらんなもん簡単に決まってんだろーが!」
「あは、あはは……」
いつもの言い争いが始まったか。
溜息を吐くと、放送委員会が連絡を流した。
『各チームの三年生代表は、お昼休憩を取った後、本部まで来てください。繰り返します――――――――』
……なんなんだろ。
別にまだリボーンは騒ぎを起こしてないみたいだし、B・C連合と棒倒しするっていう話し合いじゃないだろうし。
「何か問題でもあったのかな」
「さあ? 何なんだろうな」
「とりあえず十代目、お昼食べましょう」
「あ、うん、そうだね」
暢気にそう返事して、私は二人と観客席へと移動した。
お母さんとハルの手作りお弁当(どうやらビアンキは何とか止めたらしい。よかったぁ)を食べながら、午後のメイン競技である棒倒しへと思いを馳せる。
今のところ、BもCも総大将はピンピンしている。リボーンの動きも特にはない。
………………じゃあなんでチームの三年生代表が呼ばれたんだろう。
「それはな」
「リボーン、なんか知ってるの?」
いきなり側に現れたリボーンに普通に返すと、なんだかちょっと不機嫌な感じで言葉が返される。
「少しぐらい驚きやがれ」
「あ、ごめん」
と言われてもなぁ。側に来るの解ったし。
どうやら本当に熱があるらしい。熱が出たとき、しかも自覚した後いつもある感覚が今もまた、ある。
だから必然的に気配にも敏くなっているわけで。
……もしかして、だから雲雀さんが見つけられたのかな。
「まあいい。兎に角、お前が絶対的な点差を叩き出しちまったからだろーな」
「絶対的な点差…………あ」
さっきの借り者競争か! 雲雀さんだったもんなぁ、仕方ないよなぁ。私以外に当たってたら今のこの事態、ないだろうしなぁ。
え、つまるところ、私自身が引き起こしたと言うこと?
「そうなるな」
「さりげに心を読むなっ!」
仕方ないよね、仕方ないよな。
………………こうなったらもう、A組優勝を狙ってやる。
『各代表の話し合いにより、今年の棒倒しは例年とは違うルールで行いたいと思います。
A組対B・C合同チームとし、B・C合同チームに勝てなければ、先程のA組の大量得点は無かったことと致します』
「やっぱりオレだって、優勝したいし」
「……………………?」
わたしの言葉に眉を顰めるリボーン。けれどそんなことよりも、すぐに行われるだろう競技の方に、オレの気持ちは向かっていた。
面白かったら猫を一押し!