「やっほー、遊びに来たわよー」
 母の友人であるが家に遊びに来るのはこれが初めてではなかった。
 ただ、今回いつもと違ったのは、彼女が僕と同い年ぐらいの少年を連れていたこと。
 彼女は僕の視線に気付き、少年の頭に手を置きながら彼の自己紹介をする。
「この子はね、沢田ツナ。親戚から預かったのよ」
 仲良くしてあげてね、と言ったときの彼女の少しだけ歪んだ笑顔が妙に印象的だった。
 そうして沢田と二人きりにされ、僕は戸惑ってしまった。仲良く、と言っても今まで同い年の他人と触れ合うことなんてなかった。あっても無視するか全力で追い払ってきた。
 だからいつものようにその存在を無視しようとした。
 それなのに。
「オレ、沢田ツナ! キミはなんて言うの?」
 向こうから関わりにやってきた。
 年相応の幼い表情でそう聞いてきた彼はいつも周りにいるような子供と同じで。はっきり言えば鬱陶しい。
 日本人では殆どいないような甘い色の髪と瞳を持つ沢田は、僕との間にかなりの距離があると認識すると、物怖じせずに近付いてくる。
 ちなみに僕と沢田は母とに置いて行かれた部屋の端と端にいた。距離がかなりあると言えばあるのだろう。
 軽い足取りで近付くと、僕の目の前に立ってこてん、と首を傾げた。
「キミの名前は?」
 喋りたくなくて彼から離れるように部屋にあった本棚に近付き、適当な本を手に取る。
 一度読んだことがあるものだったが、沢田から逃げるには丁度いいだろう。沢田の年頃なら読む本は絵本だろうから、僕が読む本に興味を示しても自分が読めないものだと解れば離れていくはずだ。
 子供は異端が嫌いだから。
 …………大人も異端は嫌いだけど。
 僕が本を取って部屋の片隅で読み始めたのを見て、沢田は暫く腕を組んで悩んでいた。と、思ったらいきなりこの部屋唯一の出入り口の方に走っていく。
 相手が異端だと解っての所へ向かうのだろう。
 そう高を括っていたら、彼は出入り口を全開にして叫んだ。
叔母さーん! オレも本読みたいーっ!」
 予想外の言葉に思わず顔を本から跳ね上げる。やはり叫んだのは沢田だった。
 唖然としていると、が母と共にやってきて沢田に読みたい本を聞く。沢田は本棚を指さして本の題名を言って母を驚かしていた。
 苦笑しつつが母に頼み本を借りると、沢田に渡す。
 それを受け取って沢田は嬉しそうに僕の隣に走ってきて、すとん、と座った。
「えへへ、オレも本読む」
 ふにゃりとした笑顔でそう言う彼の持っている本へ視線を向けると、どう見ても幼児向けではない題名。
 と、いうか、普通なら読めないようなものだ。
「………………読めるの? それ」
「読めるよ? これ、下巻なんだけど、上巻はもう読んだから」
 訝しく思って聞けば、きょとん、とした表情でそう返された。
 僕の中で沢田の印象が変わる。どこにでもいる子供から何処か面白そうな子供へと。
「雲雀恭弥」
「へ?」
「僕の名前。雲雀恭弥」
 興味を持ったから名前を教えてやると、何度か口の中でもごもごと呟き、沢田はニッと笑った。
 先程のふにゃりとした笑顔とは違う、何処かしてやったりと言っているように見えるその笑顔に、まさかこうなることを予想していたんじゃないだろうな、と思う。
「じゃあきょーやくんだ」
 少し舌っ足らずなような発音に、僅かに眉が寄る。
「きょーやじゃない、恭弥」
「きょーやくんでいいじゃん。恭弥君、だとなんか固い。友達になったんだからさ」
「何時僕と君が友達になったの」
「だって名前教えてくれただろ?」
 どうやらこの子供の中では名前を教えることが友達になることとイコールになっているらしい。
 自分の迂闊さに歯がみがしたくなった。興味を持ったからって名前を教えるのは早すぎたかもしれない。
 それからはお互い黙って本を読み耽り、帰り際沢田は母から読んでいた本を借りて帰って行った。



























 沢田と会った数日後、珍しく僕は外を歩いていた。
 家の中にいるばかりじゃ身体に毒だし、適度に身体を動かしておかないと、鬱陶しい連中を追い払うことが出来ない。
 そんな理由だったのだけれど、僕は今それを後悔していた。
 かなり離れてはいるけれど、前の方から沢田が走ってくるのが見えたからだ。その後ろには五人ほどの黒服の男が見える。
 かなりいい方に入るらしい自分の視力に感謝しつつ、脇道に逸れようと思った僕に沢田が気付いたように声を上げる。
「きょーやくん!?」
 かなりの速さで走っているらしく、僕の視力で表情が見えるぐらいまで近付いていた。
 言った瞬間、しまった、とでも言いたげに表情を歪めたのが解るぐらいには。
 声を、それもかなり大きく掛けられた身としては五月蠅いよ、とでも言えばいいのだろうか。近寄ったら注意しよう。
 そう思っていたら、スピードを緩めることなく沢田は僕の方に突っ込んでくる。そして脇を通り過ぎざま、僕の手を掴んで走り出した。
「ちょ、なにするの」
「ごめん、ごめんなさい、きょーやくん。オレが声掛けなかったら巻き込まないで済むのに」
 腕を引かれる所為で僕も走らなければいけなくて。
 それに抗議の声を上げればそう言葉が返ってきた。ぎりっ、と奥歯を噛み締める音まで付いてくる。
 後ろを振り返ってよくよく見れば、黒服、もとい黒スーツの男五人はいかにも一般人ではありません、と言う顔をしている。
 顔だけで職業を判別しようとは思わないが、黒スーツの中の一人がだらしなくスーツの前を留めずにいた所為で、その胸にホルスターで留められている黒い鉄の塊が見えた。
 銃刀法という日本独特の法律をこの男達は知っているのだろうか。
 そう思いながらも沢田に腕を掴まれたまま走り続ける。
 流石に少しだけ息が上がってくると、僕より長い時間走っているはずの沢田はけろっとした様子で声を掛けてくる。
「きょーやくん、もう少しだから。もう少しでカイルに会えるからっ」
 カイルって誰。
 言葉にならずに消えていく疑問を持ったまま走っていく。
 何度か角を曲がり、目の前に公園が現れた。遊具や砂場が殆ど無い、公園と言うよりは広場と言った方が適切なその場所。
 そこに、黒い服を着た青年がたった一人だけ立っていた。
 金髪碧眼、見るからに日本人じゃない青年は走ってくる僕と沢田に気付き軽く眼を瞠り、それから背後の男達に視線を移しその表情を厳しくする。
 沢田は僕を引っ張りながら青年の横を走りすぎる。
「カイル、お願い!」
 青年に声を掛けるのを忘れずに。
 青年から少し距離を取ったところで沢田は立ち止まる。僕の手は未だ掴まれたまま。
 ところで、何時の間に腕じゃなくて手を掴まれていたのだろうか。
 息を整えながらカイルと呼ばれた青年の方を見れば、黒スーツの男達が彼の前にいた。
 そいつ等から視線を逸らさずカイルは沢田に声を掛ける。
「大丈夫ですか?」
「うん、オレは平気。……でも」
 心配そうな声音に変わる。恐らく僕のことを言っているのだろう。
「平気だよ。あそこで君に引っ張られなくても大丈夫だった自信もあるし」
 無理矢理呼吸を普段通りに戻して言い放つ。
 そう、大抵の大人になら僕は勝てるのだ。なのにカイルが苦笑を漏らす。
 睨みつけるように視線をやっても、相手は男達から視線を逸らしていないから反応が殆ど見られなかった。
 と、カイルから苦笑の気配が消え、鋭い雰囲気が辺りを包む。
「さて。オレ達の大事なツナとそのお友達をよくも追い回してくれましたね?」
 どうやら僕はもう既に沢田の友達認定らしい。
 にぃ、と気配だけでカイルは嗤う。
「身の程知らずのあなた方は、オレがしっかりきっちり咬み殺して差し上げます」
 言い放つと同時、男達が動いた。
 スーツの合わせ目から手を入れ、鉄の塊――――所謂拳銃――――を取り出して銃口をカイルに向ける。
 全員が取り出し追えたのとどちらが早いか。カイルが第一関節までしか指の部分がない黒い革の手袋をした右腕をすぃ、と身体の横で肩の高さまで持ち上げ、左斜め下へと素早く振り下ろした。
 途端、拳銃の銃身が微かな金属音を立てて二つに分断される。
 ごとん、と重い音を立てて落ちた銃口の部分が五つ。人数分きっちり。
 男達が驚愕から手に残っていた部分を落とす。
 けれど流石と言うべきか、すぐに我に返ってカイルの方へ走り出し、次々と拳や蹴りを放ち出す。それをいなし、避けながら反撃とばかりに急所を左の抜き手で一突きしていく。
 何時までも倒せないことに焦れたのか、一人がナイフを取り出す。それを一別し、またカイルは右腕を振った。
 今度は真っ二つ、なんてものではない。刃の部分が細かく切り裂かれた。まるで紙で出来ているかのように。
 その際僕の目に映ったのは、空中を煌めく銀色の糸。鉄さえも切り裂くらしいその糸の先はカイルの手袋に繋がっていた。
 と、カイルが他の奴らに構ってるうちにとでも思ったのか、一人の男がこちらに突っ込んでくる。
 迎え撃つために軽く腰を落として臨戦態勢を取れば。
「咬み殺ーす!」
 叫んで沢田が隣から跳んだ。
 その両足は綺麗に男の顔面に着地し。
 更にそこを蹴って沢田が空中で一回転しながら僕の隣に戻ってくる。やられた男は顔面を押さえながら地面に腰を落とした。
 それでもまた立ち上がろうとしたため、僕と沢田はそいつの鳩尾付近に蹴りを食らわせる。ちなみに偶然だ。決して協力したわけではない。
 気絶したらしい男を一瞥してからカイルに視線を向けると、既に他の男達も地面に倒れ伏していた。こちらも気絶しているらしい。
「大丈夫でしたか、ツナ」
「平気だよ。……あ、そうだ、きょーやくん。これ、きょーやくん家に届けようとしてたんだ」
 近付いてきたカイルにそう返しながら、沢田が持っていた斜めがけの鞄から先日の本を取り出す。
「これ、きょーやくんのお母さんに返しておいて」
 半ば無理矢理僕に渡すと、沢田はカイルの方に駆けていき、その手を掴む。
「それだけだから! 巻き込んじゃってごめん!」
 言うだけ言って沢田は歩き出す。それに苦笑しながらも手を掴まれているカイルも歩き出した。
「………………一体何だったの」
 憮然とした僕を残して。



























 目を開けたら見慣れた天井。そこで先ほどまで見ていた景色が過去の夢だと思い至る。
「…………懐かしい夢、見たな」
 ベッドの中、身体を起こした。
 結局何だかんだで二年ぐらい交流は続き、ある日を境に全く彼は僕の前に現れなくなった。
 それから約七年。
 昔のことを夢で見るなんて、この前偶然出会ったからだろうか。
「……くだらない」
 呟き頭を振って考えを振り払うと、制服を纏ってバイクに跨り学校へ向かう。
 どちらにしろ。
 夢を見た後でいちいち何かを考えるなんて、あの南国果実が出てきたときだけで充分だ、と思った。







面白かったら猫を一押し!