それは七月の第二月曜日のこと。
何とか土日で熱も下がって体調も万全に戻った私は、ちょっとしたお使いに出ていた。
夏だから熱いわけで、熱いから喉が渇くわけで。
「ひゃーっ、あっつー。……喉渇いたぁ」
なんて路上で呟いても仕方ないと思う。
額の汗を拭いながら歩いていると、後ろから自転車のベルの音が聞こえてきた。
道の端の方へ寄って通り過ぎるのを待っていると、安全のためかヘルメットとゴーグルを着けた女性が自転車に乗ったまま私の隣で止まった。
…………私の勘が訴えてくる。
この状況ってメチャクチャヤバイ! と。
いや実際はこれによく似た状況を漫画で知っているからなんだけれど。
うん、とりあえず命の危機だ。
ヘルメットとゴーグルを外した女性はやっぱりビアンキで(うわ、やっぱり凄い美人)、にこりと薄く笑みを浮かべて私に缶ジュースを放ってきた。
「よかったらどーぞ」
そしてその言葉を残してすぐさま自転車で去っていく。素晴らしいヒットアンドアウェイ。
もちろん私は缶ジュースを受け取らず、そのまま地面に落とす。がごっ、と変な音がした缶の口からジュースが零れ出て、紫色の変な煙を上げた。
……心なしか、ブショアアア、と聞こえる気がするのだけれど。
煙を吸い込んだのであろう哀れな被害者である鴉が何羽か地面に落ちてきた。
それらをなるべく見なかったことに、聞かなかったことにして私は急いで家へと走る。
扉を開けて駆け込んできた私にお母さんが首を傾げて声を掛けてきた。
「お帰りなさい、。……どうかしたの?」
「ただいま、お母さん! 毒サソリ!」
「あら! ビアンキちゃんが来たの!?」
「………………はひ?」
一人娘が殺されそうになったというのにとても嬉しそうな声を上げるお母さんに、ついつい私はぽかんとしてしまう。
ああうん、前から何処か感性がずれた人だと思ってたよ。
この前の「元一般人」発言からやっぱりずれてるんだなとも思ってたよ。
だからって娘の危機よりも漫画の登場人物に会える方を喜ぶか……!?
しかもルンルン気分を隠しもせずに台所に引っ込みやがったよあの人!
なんかもう凄く疲れたよ…………。
がっくりしながら階段を上って部屋に行けば、
「ひわっ!」
顔中にカブトムシをくっつけたリボーンの姿が!
「ちょ、え、ええっ!?」
流石に生で見ると引くんですが!?
「ん、こいつ等はオレの夏の子分達だぞ。情報を収集してくれるんだ」
「そ、そうなんだ」
微妙にリボーンから距離を取りつつ、部屋の中に入る。
何とか座って、改めてリボーンの話を聞く体勢になった。
「で、何かわかったの?」
「ああ。ビアンキがこの町に来てる。お前、襲われただろ。襲ったのがビアンキだぞ」
「わー、見てたの?」
「子分達の情報収集にたまたま入ってただけだぞ」
恐るべし、夏の子分達。
リボーンの子分ってだけで侮れなかったけれど。
更に詳しく(ボロが出たら困るし)聞こうとしたら、チャイムが鳴らされた。多分ビアンキだ。
流石にお母さんを毒の餌食にさせるわけにはいかないよね、幾らマフィアだからってさ。
……あれ、私、マフィア(の十代目候補)だから命狙われちゃったりするんだよねぇ?
「、出るのか?」
「うん。お母さんが出るかもしれないけど、一応」
ひらひらとリボーンに軽く手を振ってから階段を下りて玄関へ。
玄関の前に来た途端、扉は向こうが開けてくれた。ピザを持ったビアンキの姿がやはり扉の向こうにある。
「お待たせしました、ボンゴレピザのお届けでーす」
召し上がれ! なんてガスマスクを付けて蓋を開けたビアンキ。
そのピザから漂ってきた毒ガスに喉が焼け付くような感覚が来た。
苦しいって言うより熱いというか何というか、表現できない。ただ、息はまともに出来なかった。……ああ、これを苦しいって言うのか。
と、銃声と共にピザが弾き飛ばされ、扉の向こうへと落ちる。
咳き込みながら隣を見やれば、黒衣の家庭教師様がそこにいた。
「ちゃおっス、ビアンキ」
「リボーン」
嬉し泣きなのか涙を浮かべつつビアンキはガスマスクを取る。
「迎えに来たんだよ。また一緒に大きい仕事しよ、リボーン」
ああ、淋しかったのかな。それとも恋しかったのかな。
きっと半分は会いたかったってのが本音なんだろうな。
ビアンキがリボーンのこと好きなの識ってるから、とっても大事に思ってるってこと識ってるから、私は口を挟まない。
ただ、ちょっと二人とも物騒な世界の住人ってだけで。
「言ったはずだぞ、ビアンキ。オレにはを育てる仕事があるから無理だ」
キッパリスッパリそう言ったリボーンに、私はちょっと腹が立った。
「……ビアンキさん、連れて帰っちゃってください」
立ち上がり、ビアンキを見上げて私は告げる。
「どうぞ是非是非リボーンを連れてイタリアに行っちゃってください!」
「オイ、」
咎めるようなリボーンの口調も知ったことじゃない。乙女心を理解しないリボーンが何を言おうと私には関係ないもんね! 私は恋しくてもあの人に会えないのに。会いに行くことは出来ないのに。
キッ、とリボーンを睨みつけて(向こうの方が眼光鋭かった。でも負けない)私は口を開く。
「私、他人の恋路の邪魔して馬に蹴られて死にたくない。それにマフィアにならないってずっと言ってるだろ」
「お前が嫌がってもそれがオレの仕事だぞ」
「んな仕事破棄しろ! リボーンが粘ったって絶対私はマフィアになんかならないんだから!」
「が……!」
私の頑なさに業を煮やしたのかリボーンが実弾入りの銃を取り出す。
それを見て、私は会話の矛先をビアンキに変えることにした。
「さあビアンキさん! 思いっきり抱きしめて連れて帰ってしまってください!」
「……あなた、話の解る子ね」
ただ私達の口論を見ていたビアンキが口を開くと同時にそう言ってくださった。
「でも残念だわ、リボーンは頑固だもの。そこがいいのだけど。…………だからあなたが不慮の事故か何かでいなくならない限り、仕事を放棄しないわ」
すみません、やっぱり私の命は狙われることが前提ですか?
でも死ぬとか言う直接的ワードじゃないだけマシ、かな。どちらにしろ色々危ない気はするけれど。
がっくりと肩を落とすと、後ろから肩を叩かれた。
振り向けば、お母さん。
「駄目よぉ、ビアンキちゃん。この子、私の大事な一人娘なんだから」
暢気な声でそう告げたお母さんを見て、ビアンキが目を見開く。
「……?」
「ええ、そうよ」
「本当に、不死者の…………?」
「そうだって言ってるじゃないの。失礼ねっ」
ぷくっと頬を膨らませ(あんた一体何歳だ)不満を顔に表したお母さんにビアンキは走って抱きついた。
「久しぶりね、ビアンキちゃん」
「、最近向こうで会わないから心配してたわ!」
「あら、不死者は簡単に死なないから不死者なのよ?」
…………えーっと。
ごめんなさい、付いていけませんよ二人の会話に。
つまりなんですか、お母さんにとってビアンキは漫画の登場人物ではなく、マフィア関連の知り合いだった、と?
わお、世間って狭いねー。
更に肩を落とし、ついでに腰も落とす。
なんだかとても疲れてしまった。色々と。
世間話に花を咲かせようとしているビアンキとお母さんを睨め上げつつ、私は声を掛ける。
「で、お母さん。ビアンキさんどうするの?」
「久しぶりに会えたんだから追い返したくないわっ。幸い、部屋もあるし」
ああ、居候をまた増やすんですね。
「もう好きにして…………」
それだけ言うと重い腰を持ち上げて私は自分の部屋へ癒しを求めて階段を上った。
取り合えずテディベアに抱きつこうと思う。
夕飯時になって下へ降りれば、ビアンキが我が物顔でリビングのソファに座っているのを発見してしまった。
ああうん、この人に遠慮という言葉はないな。っていうか、日本人以外に遠慮って言葉は殆ど通用しないな。
ちょっと遠い目をしながら近付けば、ビアンキがこちらに気付く。
ちょいちょいと手招きをするものだから、首を傾げつつ近寄ればそのナイスボディで抱きしめてくれた。
「ふみ゛ゃっ!?」
…………思わず変な声が漏れてしまった。
けれどそんな私に構わず(少しは構って欲しかった)ビアンキは私の頭を胸に押しつけて抱きしめる。
すみません、窒息死させる気ですかあなたは。幾らポイズンクッキングをお母さんに封じられたからって。
「……本当にツナなの?」
「……………………………………はひ?」
なんだか最近聞き返すときの言葉がハル化している気がする。気のせいではないはずだ。
うん、今のビアンキの言葉を繰り返してみよう。ほんとうにつななの。
つまりなんですか。
「…………私、小さい頃にビアンキさんに会ってるんですか」
「昔みたいに呼び捨てでいいわ。……ええ、私が確か八歳の時に」
思いっきり肯定してくれましたよこの人!
小さい頃の私、外国にも行ってたんだー。へー。
って言うか昔の私。年上を呼び捨てにするなんてなんて言う恐れ多いことを……!
「よく憶えてるわね、ビアンキちゃん。確かは四歳だったわね」
並べるのを手伝って、と言いに来たお母さんがそう言って事実を認める。
ビアンキから離れようとその顔を仰ぎ見れば、しげしげと顔を観察される。
ええと、私、何かしましたか?
「どうしてツナ……に家庭教師が必要なの?」
「それは私がだからで、」
「近くの樹を使って窓から出入りするようなあなたが?」
「……んなコトしてたのか、私」
「大人から説教されてたのがいつの間にか討論になっていたあなたが?」
「昔の私ってどんな子ーっ!?」
何その偉業の数々! 今の私からは考えられないんだけど!
って言うかビアンキが知ってるってコトは、ビアンキの家とかでそれやってたってコトだよね!? しかも四歳児が!
ありえねーっ!
「…………絶対それ、別人だ……」
「あら、本人よ?」
「そうね、面影があるわ」
どれだけ私をどん底に落とせば気が済むんだこの二人。
リボーンが加わらなかっただけマシだけどね。
……加わらなかったのはきっと、私の小さい頃を知らないからなんだろうな。知ってたら積極的に加わるはずだから。
「………………………………詳しいな、ビアンキ」
リボーンの、何か企んでそうな声がした。
瞬間的に冷や汗が流れる。
「少しの間、一緒にいたから」
ビアンキの声は心なしか嬉しそうだ。やっぱりリボーンに話しかけられたからだろう。
「ビアンキ。お前この家に住み込みで家庭教師やらねーか。オレと一緒にいられるぞ」
ニヤリ、と笑みを浮かべるリボーン。
ああ、やっぱり。
「もちろんやるわ。リボーンといられるなら」
「じゃあ決定ね! 素敵! ビアンキちゃん、是非とも女の子としての嗜みをに教えてあげて!」
「任せて、」
…………何なんですか、女の子としての嗜みって。
どうにかしてこのマフィア人生、元の平和で平穏な平凡人生に戻せないかな…………。
「無理だぞ。お前はこうなる運命だったんだ。諦めろ」
…………………………………………平然とヒトの心を読まないでください。
面白かったら猫を一押し!