週の終わりの金曜日。
 静かな朝の空間に目覚ましのほどよい音量とは少し言い難いアラーム音が鳴り始める。
 それに一拍遅れる形で、白い手が空中を彷徨った。
 ベッドの布団の中から伸ばされた手はうろうろと目覚ましを求めて暫く彷徨った後、漸く音の発信源へと辿り着き、その上部に設置されたスイッチを押すことで目覚ましを黙らせる。
 暫しそのままの格好で止まってから、もぞもぞと布団の中で手の主が起きあがった。
 キャラメル色のくせっ毛を寝癖で更に跳ねさせ、その琥珀色の瞳は重たそうな目蓋に半分隠されている。
 するりと布団から抜いた足をベッドからひんやりしたフローリングの床に降ろし、少女は寝ぼけ眼を擦って普段よりも重い頭を左右に振った。
 それだけで眠気が飛ぶはずもなく、むしろ頭の重さは悪化しているようで。
 そのことにおかしいと眉を寄せ、
「…………ヤバイ」
 少女、は一人呟いた。
 両手を頬に当て、何かを考え込むような深刻な顔で床を見つめていると、その背後で気配が動いた。
「何がやばいんだ? 
 振り返ると、黒衣の家庭教師がベッドの逆端に立ってを見ている。
「リボーン……」
 へにゃ、と少し困ったような気の抜けた顔ではリボーンを見る。
 いつも以上に力の抜けた顔だな、等と暢気なことを考え掛け、けれどリボーンはいつもと違うの様子に気付いた。
 常にに付きまとっているどうしようもなく平凡で緩やかな空気が少し、否、普段と比べてかなり張りつめている。表情と周りに漂う雰囲気が合致していない。
 に気付かれない程度に眉を寄せると、それ以上に眉を寄せ、何とも言い難い表情になったが口を開いた。
「…………風邪、引いた」
「……………………は?」
 思わず。
 そう、思わずだ。聞こえた言葉にすぐさま反応できなかったばかりか、思わず聞き返してしまった。
 の口から出てきた言葉を信用していないわけではない。普通の人間に比べればだいぶ読み辛いが、読心術を使えるリボーンにはが嘘をついていないことは手に取るように解るし、そうでなくてもはおかしな嘘を付くような人間ではないと短い付き合いの中で解っている。
 けれど、何故それが彼女の周りの程よく張りつめた空気に繋がるのか。
 リボーンのそんな様子に構わず、は言葉を続ける。
「どうやら熱があるらしいよ。………………普段はあまり自覚症状ないんだけどなぁ。これ、結構高熱かも」
 こてん、と首を軽く傾げて自分の考えに浸ろうとするにリボーンは待ったを掛けるべく口を開いた。
「おい、ちゃんと説明しやがれ」
「あ、これは聞いてないんだ? 私、体調が悪くなると不機嫌になりやすくてね? 普段の性格が嘘みたいなんだって」
 ついでに言えば力とかも上がるらしいんだ。軽い死ぬ気モードなのかもね。
 軽い調子で言い放つに目眩がした。
 つまりそれは、病で身体のリミッターが外れてしまっていると言うことで。
「…………は知ってんのか」
「うん。家族だからね」
「そうか。……黙ってやがったな」
 チッ、と小さく舌打てば、苦笑を漏らしたがベッドから立ち上がった。
「これから私、着替えるから先に下へ行ってて」
 その言葉に軽く眼を瞠る。
「学校に行く気か?」
「当たり前でしょ。私が行かずして誰が獄寺君を止めるんだよ」
「熱があるのにか」
「うーん、体調が悪い自覚はあるけど、熱が四十度越えない限り動けるから」
 あまりにも自分に無頓着な発言に絶句するリボーン。
 確かに一昨日リボーンが行った入ファミリー試験で更に積極的に獄寺は山本に突っかかっている。だからといってそれを止めるためだけに高熱を出している身体で学校へ行こうとするだろうか?
 普通ならば答えは否である。
 絶句するリボーンという珍しいものをしげしげと見てから、はその小柄な赤ん坊の体躯を掴んで廊下へと出した。
 外へと出されてしまっては仕方がない、と肩を竦めてからリボーンは階段を下りる。
 テーブルに着けば、目の前にエスプレッソが出される。
「……どうかした? リボーン君」
 それと共に掛けられた声に、リボーンはを見上げる。
、お前、オレに大事なことを言わなかっただろう」
「大事なこと?……あら、何か言ってなかったかしら?」
「とぼけるな」
「とぼけてなんか、」
 二人の言葉の遣り取りはが階段を下りてくる音で一時中断された。
「おはよう、お母さん」
「おはよう、…………? あら、熱でも出たの?」
 挨拶をしたの雰囲気に気付き尋ねれば、こくりと首肯される。
 それをリボーンに睥睨され、成る程確かにこれは言っていなかった、とは納得する。
「ごめんね、リボーン君。ってば特殊体質で」
「それは少し聞いたぞ。お前も止めろ。こいつ、学校に行く気だぞ」
「あら、あらあらあら」
 困ったわねぇ、等と右手を頬に添えつつを見る。
 ほんの少しだけ視線を交わらせ、すぐに諦めたような溜息を吐く。否、諦めた。
「リボーン君、が無理しないよう見張ってね」
「……貸し一つだぞ」
「あら高そう」
 そんな母親と家庭教師の遣り取りを見ながら、もそもそとは朝食を食べた。
 五月蠅い居候その二が未だ眠っているらしい事に少し安堵しながら。


























「本当に大丈夫なんですか?」
「大丈夫だって。獄寺君ってば心配性だなぁ」
 昼食前の四限目。ここ数日ですっかり定着した右に獄寺、中央に、左に山本という構図で移動教室の為に廊下を歩きながら、獄寺はこの日何度目になるか解らない問をに投げかけていた。
 が風邪気味だと聞いてからずっとこの調子である。
「獄寺が言うことももっともだって。早退した方がよくね?」
「……私に更に馬鹿になれと?」
「ははっ、オレも馬鹿だから大丈夫だって。…………ってそうじゃなくて」
 眉を顰めた山本には肩を竦める。
「だから午後の体育は見学だってば」
 流石に体調が悪いと自覚しているだけあるのか、体育は見学することにしたらしい。
 ただ、その決断の一端にはリボーンに銃口を向けられたからというどうしようもない理由があるのだが。
 に合わせ、獄寺と山本もゆっくりとしたペースで歩いていくと、四限目を告げるベルが鳴り始めた。
「やべっ!」
「急がねーとあの先生、五月蠅いんだよなー」
 慌て出す山本と獄寺を見上げ、この二人を遅れさせるのは得策ではないとは考え、口を開く。
「二人は急いで向かって。私は保健室に寄って遅くなったって言うから」
「悪ぃな、!」
「すみません、十代目」
「いいんだよ。ほら、走って」
「はい!」「おう!」
 獄寺と山本の言葉が重なり、それを合図に二人は走り出す。
 その後ろ姿を見送ってから、はゆっくりと歩みを再開させる。
 やがて獄寺と山本に遅れて差し掛かった階段には、恐らく二人が走り抜けた後に来たのであろう数人の男子上級生が階段を塞ぐようにして屯していた。
 もちろん授業が始まっている時間帯である。ベルも先程鳴った。詰まるところ、その男子上級生達はサボり組と言うことになる。
 上級生男子の集団に軽く眉を顰めつつ、は声を掛ける。
「あの」
「ああ゛?」
 柄の悪そうな、もしくは頭の悪そうな返答が帰ってきて、更には眉を顰める。ただし、相手には解らない程度に。
 努めて無害そうな下級生の表情を作って言葉を続けた。
「ここ、通りたいんですけど」
「通ればいいじゃねーかよ」
「おいおい、オレ等が邪魔なんじゃねーの?」
「ぎゃははっ、違いねーや」
 の教科書を持つ手が少し震えた。
 今のの感情を言葉にするなら一言、「だったら早く退いてください」だろう。
 しかし彼等は階段を占領したまま動こうとしない。
「っつーかさァ、今頃移動なわけぇ〜?」
「実はサボりだったりしてな」
「保健室にかぁ?」
「あー、あり得るなぁ」
「ベタすぎだろ、ここはバックレるに一票!」
「成る程なぁ、今からなら午後は遊び放題だしな」
 教科書を持つ手が更に震える。もちろん恐怖ではなく、怒りだ。
 何時まで経っても退こうとしない上級生に怒りを隠すことが出来なくなってきている。
「ま、兎に角だ。サボっていいのは二年からだぜ?」
「三年に見つからない技があればな。ぎゃははっ」
「お仕置きしねーとなぁ、こういう悪い下級生は」
「それか口止め料に財布おいていってくれるー?」
「うっわお前えげつねー!」
「ぎゃははははっ!」
 ふつり、との手の震えが止まる。
 それに一拍遅れる形で、彼等のものでもましてやのものでもない第三者の声が頭上から降ってきた。
「君達、何してるの」
 上級生達は一斉に頭上を、つまり上の階へ繋がっている階段を見上げる。そして一斉に顔を青くして立ち上がった。
 階段の手摺りに右手を乗せて達を見下ろしている漆黒。
 風紀委員長、雲雀恭弥。
「ひっ、雲雀恭弥!」
「もう授業は始まってる時間だよね?」
 足音をほぼ立てずに階段を下りてくる漆黒から恐怖で目が離せず、上級生達は身体を凍り付かせている。
 そんな中、動いたのはだった。
「先刻から邪魔だって言ってるんだけど聞こえないんだ?」
「がっ」
 目の前数段下に立っている上級生の腹を蹴り、最下段まで転がり落とす。
 その突然の出来事に上級生達の視線は全てに向き、雲雀の動きも止まった。
「これ以上授業に遅らせる気だなんていい度胸だよねあなた達。オレ、今日は自覚症状あるからなるべく大人しくしていたかったんだけど」
 ゆらり、との周りの空気が揺らいだように見えた。
「怒ったからね、咬み殺さないまでもしっかり報い、受けて貰うよ……?」
 そう宣言すると、神流は手近にいた上級生をまた一人蹴って階段から落とす。
「なっ、てめっ!」
「静かに落ちて後悔しろよ」
 に掴みかかろうと動いた上級生はあえなくその手を掴まれ、その身体は宙に浮き、階段下の踊り場へと投げられる。
 最後の一人も同じようにして投げると、ちらり、と視線だけを雲雀に投げかけては足早にその場を立ち去った。
 これ以上授業に遅れたくないのが一割と、ここで雲雀と戦って病状を悪化させたくないのが四割と、雲雀に無謀にも挑んで咬み殺されたくないのが五割の理由である。
 だからは知らなかった。
「………………………………………………沢田?」
 呆然とを見送った雲雀が、をそう呼んだことを。








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