屋上ダイブで思いがけず右眼から出血してしまった私はただいま校門にいます。もちろん今から帰るところですよ?
 保健室の先生(まだシャマルじゃないのは救いかな)に一応貰った白い眼帯を右眼に付けて平衡感覚をおかしくしつつ、山本に手を引かれて校舎から出たまではよかったのだ。
 ただ、校門に巡回中の風紀委員がいたのが運の尽き、かなぁ。
 どう見ても今の私と山本はサボって帰ろうとしている並中生で。
 …………うん、殴られても文句は言えないね。
「オイ、そこの二人。止まれ」
 案の定呼び止められました。予想通りっちゃあ予想通りです。
「サボりか?」
「いえ、早退です」
 いけしゃあしゃあと答えてみる。リーゼントの眉が寄った。
 そりゃそうだよね、堂々としすぎだよね。具合悪そうに見えないよね。
「……早退するように見えないぞ」
 そんなこと言われましても。
 こっちなんて慣れない眼帯で気持ち悪いんですが。
 更に続けようとリーゼントが口を開くと、
「何をしているんだ」
 もう一人人間が増えました。
 私達の後ろからした声に振り向けば、そこには草壁さんの姿。
 待ってました、風紀副委員長!
「この二人は帰していい。これから病院に行かせる」
「はいっ」
 草壁さんの言葉にびしぃ、と姿勢を正すと、リーゼントは私達をすんなり通してくれた。
 どうやら先生、こうなることを見越して風紀委員の良心に話を付けておいてくれたらしい。
 先生。二、三日はこのご恩、忘れないと思います。
 山本と二人校門を潜って昼間の町へと歩き出す。
「……ごめんね、山本。手、引いて貰って」
「気にすんなって。オレがやっちまったみたいなもんだしさ」
「いや、不可抗力でしょ、これは」
 苦笑しつつ家の近くまで連れて行って貰う。流石に慣れない状態で一人家に帰るのは怖い。
 獄寺君がいたら獄寺君に頼むのだけど、今日はそういかないし。
 まあこれで山本と友達になれたからよしとしようかな。
 山本は家まで送ると言ってくれたけど丁重にお断りして(だって彼だって怪我してるんだから無理させられないよ)一人塀に手を付きつつ家へと向かう。
 こうやって何かに手を付いてれば平衡感覚が無くても大丈夫なはず……!
、苦労してるみてーだな」
「リボーン。……苦労してますよー」
 溜息を一つ吐きながら塀の上に乗っているリボーンを見る。
 大体何で眼帯なんて渡すんだ、先生は。
「もう血も止まってるのに」
「血が止まってようが傷口があったらそこから雑菌が入るかも知れねーだろ。が」
「あ、そか」
 そこまで考えてなかったよ。
 ぽむ、と手を一回打つと、私はまた歩き出す。
 ここで立って話をしていても仕方ないしね。
 暫く歩いていれば、だんだんと眼帯があることに慣れたのか平衡感覚が戻ってきた。戻ってきたというか、片眼が見えないときの感覚の取り方を身に着けた、って所かな。
 …………うわ、あんまり嬉しくないかも。
 手を塀から離して暫く、漸く家が見えてきた。
 がちゃり、とノブを回して扉を開ける。
「ただいまー」
「あら、早かったのね」
「うん、早退」
「…………どうかしたの? それ」
 私のしている眼帯に気付いた途端、お母さんの目付きが険しくなる。うっすらと周りの気温が下がったようにも感じられた。
「え、ああ、これ? 山本と屋上ダイブしちゃってさ」
「……それで?」
 あくまで先を促そうとするお母さん。声は真剣そのものだった。
 折角こっちが明るく陽気に話そうとしているのに。
「何とか助かったときに何でだか右眼から血が出てね? みんな驚いちゃって、それで早退」
 僅かにお母さんの顔が歪んだ。
 そう思ったら何時の間に目の前に来たのか、すい、と手を眼帯に伸ばされる。
 眼帯が外され、右眼の捕らえる景色が漸く左のそれと重なった。
「中に入ってすぐリビングへ行くわよ、
「…………ハイ」
 有無を言わさぬ口調に頷くと、ぐいと腕を取られ引っ張られた。
 慌てて靴を脱ぎ捨て後に続いてリビングへ行く。
 置いてあるソファに座らされると、お母さんは私の頬を両手で掴んで色んな角度から顔を覗き込み始めた。
 暫くじろじろと見つめたかと思うと、小さく溜息を吐く。
 それは私の顔がおかしいって事ですか?
「……どうだ? 
 いつの間にかリボーンがお母さんの後ろに立っていた。
「駄目ね。…………あの日から見られなくなっていたけれど、また現れてるわ」
 私の解らないことを題材に二人は顔を向け合わずに話している。
「え、あの、え?」
「何だ、知らねーのか」
「だってもう現れないと思ったから。話してないわ」
「だからなんの話!?」
 仲間はずれにされ続けりゃ、私だって気になるんだよ!
 しかも私は当事者ですよ!?
 と、頬に当てられていたお母さんの手が離れる。
「………………真実の話」
 泣き出しそうに歪んだ顔に、少しだけ、本当に少しだけ聞きたくないという思いが走った。


























「どこから、切り出せばいいかしら」
 静まりかえったリビングでは口を開く。
 目の前の娘は既に私服に着替えさせており、その隣には漆黒の家庭教師を座らせている。
 一度瞳を伏せると、は意を決したかのように言葉を紡いだ。
「私やさん、あなたが生まれたのは並盛のあるこちらの世界なの」
 紡がれた言葉を理解するため、娘が軽く顔を俯け、そして弾かれたように顔を上げた。その瞳は驚きの色で染まっている。
「つまり、本当にあなたの中には初代ボンゴレの血が流れているのよ」
「漫画の中の世界じゃないのっ?」
「……初めてあの漫画を見たときは驚いたわ。ボンゴレの内情が描かれていたから」
 娘の言葉に少し苦笑する。
 この世界であの漫画の内容を知っているのは、そしてその娘しかいないはずなのだ。なのに漆黒の家庭教師の前でその存在を言ってしまうとは。
 やはり少しのんびりしているなどと思いつつ、は続ける。
「九代目のこと、初代のこと、それからあなたのこと」
「私の?」
「そう。小さい頃、まだ小学校に上がる前。私達家族はこの並盛に住んでいたのよ。…………女の子だと危ないからってあなたに偽名を名乗らせて、男の子だって事にして」
「偽名? どんな?」
「……沢田ツナ」
「へっ?」
 落ち着いてきた娘がまた驚きの声を上げる。
 無理もない、あの漫画の主人公の名字とあだ名が自分の偽名だったと知ったのだから。
「あなたの本名は私とさん、九代目、それから私の信頼した数人の部下にしか言ってなかったぐらいでね。小さいのに何処か大人びたあなたには男言葉を使って貰っていたわ。名乗るときも偽名で。……普通は反発するのにね」
 当時はそれが不思議でならなかった。
 、九代目等の本名を知る人間の前でだけ娘を本名で呼び、他の場所では偽名で呼ぶ。普通なら、普通の子供ならどちらかの名前を選び、もう一つを否定するに違いなかった。
 それでも何も文句を言わず、偽名にも本名にも同じように返し、娘はいつも楽しそうだった。
 今もその当時の娘が不思議でならない。
「だから偽名と殆ど同じあの漫画の主人公が、どうしてもあなたに見えてしまって。………………もしかしたら、こんな未来もあったのかもね、って。そう思ったらどうしてもずっと見ていたくて」
 それ故に娘と共に見続けた。
 殺してしまった未来をそこに見出してしまったから。
「……どうして、この世界から」
「どうやって、とは聞かないの?」
「聞いたら答えてくれる?」
「…………ええ」
「なら、教えて」
 しっかりとした強い光を湛えた瞳で娘はを真正面から見た。
 糾弾するでもない、ただ受け止めるだけの瞳。その瞳に、その身体に流れる血を垣間見た気がした。
「小学校に上がる前の年、あなたの心を壊すような事件があったの」
 硝煙の匂いと、血の匂いと、黒い服と、紅い血。その中で一人の少年を抱き込んだ幼い我が子。
 右眼から零れた一筋の涙がその白い頬に付いた血を滲ませていて。けれど幼い我が子は泣き叫ぶこともなく。
 ただそのキャラメル色だった髪を真っ白に染め上げていた。
 その日から暫く、娘は外界を拒絶し続けた。
「どうしようもなくてね。手を施せなくて」
 精神科医にすら匙を投げさせる閉ざし具合に、部下の一人が口を開いた。
「環境を変えてみたらどうか、って」
 ボンゴレのない場所に、争いのない、ただただ平和な場所に。
 そこで暮らせば傷は癒えるかもしれない。癒えなくても、外界へと心を開くかもしれない。
「だから、試してみることにしたの」
 並盛にある家を、空間をねじ曲げて別の世界のとある家へ繋げ、家から並盛、並盛から家への一切の干渉を不可能にして。
 そうしてから部下は言った。
「あなただけは少なくとも三年は戻してはいけない、と」
 幼い心に与えられた傷は深く、それを受け入れるためには心が成長しなければいけない。
 それ故の期間。
「私達は大事な仕事が入る度に戻っていたのだけれどね」
 仕事が入る度、部下に任せられるものは回していた。それでも自分たちが出なければいけないときはあって。
 その時は家事を教え込んだ娘一人だけを家に残し、自分たちだけ渡っていた。
「だから私留守番多かったんだ……」
「ええ、そう言うこと」
 言って、息を深く吐き出した。
 娘に言わなければいけないのはこの先。、だ。
「……そうやって環境を変える直前、私達は気付いたの。あなたの右眼がある特徴を失っていたことに」
「特徴?」
「そう。……私の血脈はね、瞳にある特徴が出るの」
 立ち上がり、娘の前へと行きしゃがみ込む。
 何をするのだろうと娘が思っていると、は娘の前で少し顔の角度を変えて見せた。
 瞳に特徴があるという話を聞いていたのだからそれに関係があるのだろう、とその漆黒の瞳を見れば、光の加減かその右眼が緑に見えた。
「…………え、色、が」
「角度によってね、瞳の色が緑に見えるのよ。……私とあなたは右眼のようだけれど」
 元の位置へと戻り、は足を組みその上に肘を付いた。手の上に顎を乗せ、ふっと笑みを浮かべる。
「そしてその瞳を継ぐ者は、ほんの少しだけ時間を操る事が出来る力を手に入れるの」
「時間……」
 突拍子もなく飛んだ話に娘は眉根を寄せた。
 けれどそれを気にするでもなくは続ける。
「見たのでしょう? モノクロの、時間が緩やかに流れる世界を」
 瞬間、娘の目はこれでもかと言うぐらいに開かれた。
 確かにその世界を垣間見た。そのお陰で助かったのだ。
 否定する材料はなかった。
「あの事件の直前まではあった特徴が、あの事件の後消えて。……そして今回、また現れた」
 本当はこの血について、瞳については話す気はなかったのだ。この血を継いで生まれても、瞳に力が宿らない場合もある。瞳から力が消える場合もある。
 消えたと思っていた。だから話す気はなかった。
 それなのに、何故。
 そんな胸中の疑問を押し殺しながら、は優雅に笑う。
「さて、ここまでで質問は?」
 暫し考え、娘は口を開く。
「……あのチラシは?」
「ああ、部下に作ってもらったのよ。だからあんな旅行会社ありません」
「……どうしてこっちに戻ってきたの?」
「九代目に、候補が全滅したって聞いたから仕方なく。それに、そろそろ頃合いだと思ったから」
「……最後に一つ質問」
「ええどうぞ」
「…………………………………………お母さんって、マフィア?」
「そうよ。元は一般人だけど」
 言ってやれば、娘はがっくりと肩を落とした。




 堅気じゃなかったのかよマイマザー!




 なんて言う娘の心の声は、もちろん隣の黒衣の家庭教師にしか届かなかった。








面白かったら猫を一押し!