それは小学六年生の十月十三日。幼馴染みのお母さんが元気な男の子を出産した。
幼馴染みとは生まれたときから家が隣で仲良くしていたから、彼の弟は私の弟も同然だった。
だから、幼馴染みに鞄をおいたら病院に来てと言われたときは凄くドキドキしたのを憶えている。
朝方生まれたらしい弟を私にも見せてくれると言っていたそうで、逸る気持ちを抑えながら病院への道を普段出してる以上の速さで走った。
受付で病室を尋ね、軽い足音を院内に響かせながら幼馴染みのお母さんがいる病室を目指す。
がらり、と開けた扉の向こう。白い病室のベッドの上。
赤ん坊を抱いた幼馴染みのお母さんが上体を起こして座っていた。
「!」
彼女、奈々さんの横にいた唐茶色の髪と琥珀色の瞳を持つ幼馴染みが私を見て手招きする。
呼ばれるがままに近寄ると、奈々さんがその腕に抱いた赤ん坊を見せてくれた。
黒髪の赤ん坊は眉が少しタレ気味で、今は瞼の下になっている瞳の色が黒であると私に確信を抱かせた。
「あのね、ちゃん」
奈々さんが私に柔らかな声で語りかけてきた。
何だろうと顔を向ければ、声と同じ柔らかな表情を彼女は浮かべていて。
「ちゃんにこの子の名前、付けて欲しいの」
「…………え」
唐突な申し出にきょとん、と表情を緩めてしまう。
幼馴染みを見れば、薄く笑みを浮かべていた。
どうやら幼馴染みも奈々さんと同じ意見のようであることがそれで手に取るように解ってしまった。
「……オレなんかでいいんですか?」
「ええ」
にこりと笑みを浮かべる奈々さんに対して私は困ってしまった。
この赤ん坊に付けたい名前はある。けれど。
「突拍子が無くてカタカナでも、いいんですか?」
「ちゃんが付けてくれるなら何でもいいわ」
大らかで懐が広くて包容力がある、まさに母親の鏡。
幼馴染み、ひいては私が嘗て、そうである、もしくはそうであれと言われたものを最初から持ち合わせている人。
大空のようなその言葉と微笑みに背を押され、私は言葉を紡いだ。
「無事に世界に生まれてきたよ」
私は贈ろう、キミに名前を。
「キミに虹の祝福がありますように」
嘗て呼ばれていたキミの名前を。
「おめでとう、」
呪われた赤ん坊に付けられた彼の名前を。
「…………………………………………リボーン」
あの日から約三年が経った。
今年で彼は三歳になり、そして私の男装歴は九年になる。
退屈な、けれど言い換えれば穏やかで平和な十五年という年月を私は今送っている。
前では考えられないことだった。
生まれてくる前では。
…………私には前世の記憶がある。それも生まれた頃から、だ。
前世で私がボンゴレ十代目だったこと。中学時代に手に入れたかけがえのない仲間のこと。最強の家庭教師のこと。夢の中で、或いは現実で時々会うことの出来るパラレルワールドの自分のこと。
それらが全部、赤ん坊の頃から私の中に存在していた。
最初は本当にどうしようかと思った。普通ならこうやって前世の記憶が残っているはずがないのだから。骸やと同じ事になってしまったのか、なんて思ったりもした。……半分現実逃避で。
だって、記憶の中にある両親が幾分若い姿で天井を背景にして私を覗き込んでいたのだ。現実逃避もしたくなる。
したところで、現実からそうそう逃げられるわけもなく、すぐに戻ってきたわけだが。
この現実逃避したくなる現実で生きていて、驚いたコトが幾つかある。
まず、私の周りには記憶がないだけで、同じ顔、同じ名前、同じ性別で転生している人間がいたということ。両親なんかがそうである。
次に、私に双子の妹が出来ていたこと。ただし、彼女は私と前世で肉体を共有していたもう一人の自分とも言うべき存在なので、いてくれて嬉しい、とは思った。そのお陰か、彼女も前世の記憶が残っている。
……まぁ、彼女と私の名前の音が同じになったのは前世からの宿命とだけ言っておこう、うん。イントネーションは少し違うし、今まで何とかなってきたし、これからも大丈夫だろう。
それから。
「ただいまー」
がちゃり、と玄関の扉を開けて中に入ると、ぱたぱたと軽い足音が聞こえてくる。
「おかえりなさいっ」
「ちゃおっス」
「あれ、リボーン来てたんだ」
足音の収束と共に顔を見せたのは私とそっくりな顔をした、けれど黒髪で黒い瞳な双子の妹、。
そしてその腕の中にはお隣さん家の次男坊であるリボーンの姿があった。
「ママンが出かけるって言うからな。に預けられたんだぞ」
今年で三歳になる幼児とは思えないほど流暢に話すリボーンは、軽い身のこなしでの腕から抜け出すと私を見上げた。
「、ツナはどうした?」
「あー、クラスメイトに捕まってるよ。人気者は辛いねー」
苦笑しつつ肩を竦めてみせると、やれやれ、とリボーンは小さく首を左右に振った。
とりあえずにリボーンと一緒にリビングにいるように言って部屋へと向かう。
そう、リボーンだ。
彼もまた、私と同様に前世の記憶があった。
アルコバレーノは全員そうなのか、なんて聞いてみたい気がするが、まぁ聞いても答えてくれないだろうから聞いたことはない。
というか、答えられても困る。「私」まで呪われたという事じゃないか。
だからこそリボーンは身のこなしは三歳児離れしているし、流暢に日本語やイタリア語、中国語など数多くの言語を操ることが出来る。
それは十代目ボスとして彼に鍛えられた私もなのだけれど。
まぁ今は平和を享受するためにあえてダメツナ、と言うかを演じさせて貰っている。男で。
もちろん私の性別は女なのだけど、幼馴染みが前世と違って結構なんでも出来る(もしかしたらこれ、前世の影響かもしれない)ので、ダメダメな女子では側にいることが不可能なのだ。
折角今度は同じ世界に生まれたのだから、仲良くしていたいではないか。
なのに目立たないように駄目人生をあえて送ろうとしていると一緒にいられないだなんて泣きたくなる。かといって駄目人生を送ることを止める、というのは考えたくない。せめて中学卒業までは平和でいたいのだ。
部屋に行ってすぐ、制服(もちろん男子と言うことになっているからブレザーだ)を脱いで私服(それでもジーンズとか男っぽいものばかり)に着替えると階段を下りてリビングへ。
リビングに行けば、優雅にエスプレッソを飲むリボーンと、ミルクティーを自分で入れて飲んでいるの姿があった。
何というか、これだけ見てるとホント、前世みたいだ。
「、リボーン。お茶請けいる?」
「え、作ってくれるの?」
「作ってあるの」
目を輝かせて問い掛けてきたに苦笑しながらそう返す。
両親が海外出張中の我が家ではと私が家事を分担している。その中で料理関係は全て私。もちろん、お菓子なども料理関係に入っている。
キッチンへ行き、冷蔵庫から昨日のうちに作っておいたゼリーを取り出すと、それをそっとお皿にあけ、スプーンと共に持っていく。
「はいどうぞ。リボーン、」
「ありがとう」
「サンキューだぞ」
それぞれにお礼を言ってゼリーを受け取ったのを見ると、私はリボーンと同じようにエスプレッソを作ってリビングのソファに腰掛け、口を付ける。
私はのんびりとしたこういう時間が好きだ。
前は殺伐としすぎて、自分を殺しすぎて、こういう時間を楽しむ余裕がそれほど無かったように感じられる。
そう言う意味ではきっと、幼馴染みは前世を忘れて損をしている。
だって、この時間が退屈ではなく、穏やかで優しい、愛おしむべき時間なんだって知らないのだから。
ああ、もしかしたら幼馴染みはこんな素敵な時間を生きるために、再びこの並盛に生まれてきたのかもしれないな。この私でさえそうなのだから。
ねぇ、そう思わない? 幼馴染み君。
昔パラレルワールドで存在していた、鏡の向こう側の私。
この世界の今の時代に生きる、もう一人のボンゴレ十代目。