第0話 日常









 少女はいつも通り通学路を一人で歩いていた。
 白いワイシャツの上に黒いブレザー、紺色の膝下丈のプリーツスカートを着て、緋色のリボンをネクタイ代わりに蝶結びにしている。
 通っている学校の制服。下校時なのだから当たり前なのだが。
「…………………………ふぅ」
 今日幾度目になるかわからない溜息を吐き、少女は目指す場所の方へ視線を向ける。
 小高い丘の上に作られた公園。幼い頃は、何かの儀式場のように思えてよく遊びに行ったものだ。
 黒にしか見えない暗緑色の瞳に穏やかな色を湛えて、心持ち早足で公園に近づく。
 公園に一歩踏み入ったところで、腰ほどの長い黒髪が突然の風に嬲られて視界を塞いだ。
「…………っ! やだ、結んでなかったのに」
 髪を手で押さえつけ、髪ゴムを取り出すと素早く三つ編みに結い上げる。
 結い終えて一息ついてから、漸く自分以外の人間の存在に気付いた。
 公園に笑い声が広がる。
「あははっ、ちょっと大丈夫〜?」
 声の主は陽気に言いながら、少女に近づいてきた。
「あ、さん………………」
 。少女と同じ高校、同じクラスの黒髪黒瞳の少女である。
 ただ、は少女と違って活発で人付き合いがよく、誰からも慕われる存在で。対する少女は周りに馴染めず、人見知りをするタイプだった。
 は少女に声を掛ける。
「どうしたの、さん。こんな人の来ない公園で」
 少女――――――に声を掛けられ、ぴくりと肩を震わせた。
「あ、ご、ごめんなさい。わ、私の家、この近くで」
 しどろもどろになりながらも言葉を紡ぐ。
 から声を掛けられたのも初めてだし、学校の、それもクラスメイトが用事以外で自分と会話するという出来事も初めてだった。
 の様子に小首を傾げたが、深く聞くことはせずには空を見上げる。
 夕闇が押し寄せ、太陽の輝きで紅く染まってきた空。
 その空に手が届くかのように、思い切り腕を伸ばしてみる。
「…………あの、さんはどうしてここへ?」
 と。急にが声を掛けてくる。
 ちろり、と視界の端にの姿を捉え、普段は見せない地の感情では言った。
「あんたには関係ないじゃん」
 それに慌てたように、が一本の三つ編みにした己の髪を弄り始める。
「ご、ごめんなさい。そうですよね。わ、私なんかが聞いていい話題じゃないですよね」
 公園に沈黙が訪れる。
 やがて、が長い溜息を吐いたことで沈黙は掻き消された。
「…………この公園ね、実はつい昨日発見したの」
 今日は月曜だ。つまり、日曜日にはたまたまこの公園へ来たということになる。
「人がいなくて静かで。一人になるにはもってこいだって思ったんだけどね………………」
 恐らくも、と同じで誰もいない、誰も来ないものだと思っていたのだろう。
 それなのにお互いがいたことで、驚いたのだろう。
「あ、えと。やっぱり、さんも一人になりたかったんですか?」
「うん、まぁね」
 の答えに、は踵を返すと公園の出口に向かう。
「ちょっと。どこ行くのよ?」
さん、一人になりたいって言ったから。だから、私は帰りますね。一人になれるところ、私には多いですから」
 笑顔を作ってを振り返る
 そんなに大股で近寄り、は肩を掴む。
「あのねぇ。あんたもここに来たからには理由があるんでしょ? 落ち着いて一人になれる場所なんでしょ?」
「……………………はい」
「だったら軽々しく人に譲らない! 好きなものは好き、誰に遠慮することはないの!」
 の剣幕に恐れをなしたのか、は口を噤む。
 やってしまったか、とが自己嫌悪に陥りそうになったとき、
「…………羨ましいです、さん。……私も、そう考えるようにします」
 そうが呟いた。
 ほっと胸を撫で下ろしたは、の肩を掴んだままベンチへ行き、有無を言わさず腰掛けさせた。
 そして自分もその隣に腰掛ける。
「なーんであんたに『死神ユダ』なんて付いたのか、凄く気になるね」
 こんなにいい子なのに。
 そう言われ、一気に耳まで赤くする
「い、いい子じゃないです。あの、さんも」
「ストップ」
 言葉の途中でが止める。
 何だろうと思っていると、ピッとの顔を指して言った。
さんじゃなくて、さんってこそばゆいのよね」
 呆然とと、顔を指さしているの指を見つめる
 どう言葉を返していいかわからず、戸惑っているようだ。
 その様子には笑い声を上げる。
「えっと。さんも、私と仲良くすると悪いことが起きるかも」
 漸く言葉の続きを言い、は俯く。
「やだなぁ、呼び捨てでお願いしてるのに。…………うーん、そうねぇ。あたし、実を言うと悪いことが起きても平気なタイプなのよね」
 は空を仰ぎ見ながら、どういえばいいのか迷った風に言葉を紡ぐ。
「悪いことが起きたって、何とかなるっていう考えの持ち主だから」
 そう言いきったの横で、はもう一度、更に小さく「羨ましい」と呟いた。