「ばれんたいん?」
「そう、バレンタイン」
 お父さんとお母さんに連れられて、イタリアのお爺ちゃんの所に来たのは二日前の二月十二日。
 イタリアではきょーや君がいないから、お母さんの部下のカイル達の所に来て遊んで貰うことが私のイタリアの過ごし方。
 だから今日もいつもみたいにリアンナと遊んでいたんだけど、いきなり私にリアンナが教えてくれた。「今日はバレンタインね」って。
 教えて貰ったのはいいけど、私、「ばれんたいん」って知らない。色んな本を読んだけど、載ってなかったもん。
「ばれんたいんって、何?」
「え、ちゃん、知らないの?」
「うん、知らない」
 リアンナが言ったことに頷くと、困ったように眉を寄せられる。
 どうやら知らないといけないことらしい。これからは覚えておこう、と思う。
「バレンタインっていうのはね、ジャッポーネでは女の人が好きな男の人やお世話になった人にチョコレートをあげるの。こっちの方では『Giorno di San Valentinoジョルノ ディ サン ヴァレンティーノ』って言って、男の人が好きな女の人なんかにお花をプレゼントするのよ」
「有名な行事?」
「結構ね」
 にっこり笑ってリアンナはそう言った。
 有名なのに、私、知らなかったや……。これからはもっともっと新聞、読もう。
 でも、チョコレートやお花をあげるのか…………。私もあげたいな。あげたい人、沢山いるな。
 ちょっと悩んで、私は浮かんだアイディアを実行するためにリアンナにお願いをすることにした。
「ね、リアンナ」
「なに? ちゃん」
「チョコレート色の紙、沢山ある?」
 きょとん、として私を見下ろすリアンナ。それでもすぐに奥の部屋に行って取ってきてくれた。
 チョコレート色の紙が沢山。これだけあれば多分大丈夫。
「ありがとう、リアンナ」
 笑顔を浮かべて、その紙の束を紙袋の中に入れて持たせて貰うと、私はリアンナ達のお仕事場所の扉を開けて廊下に出る。
ちゃんっ?」
「だいじょーぶ、オレ、ちょっと用事があるだけだから」
 今出来た用事だけど、嘘じゃないもん。
 それだけ言うと、私は廊下を走って、このお爺ちゃんのお屋敷で私が使わせて貰っている部屋に行く。
 中に入ってちゃんと鍵を掛けて、カーテンを閉めたら準備はオーケー。鋏と一枚のいらない紙を持って、私は気合いを入れる。
「よしっ、やるぞ!」
 ジョキジョキと紙を人の形に切って、それを持って私は呪文を唱える。
「紙は依り代降ろすモノ。鋏は隠す壁を切る。そして私は隠されたモノを紙へと繋ぐモノ」
 切った紙がふわり、と浮き上がって、半透明な女の人が現れる。
「どうしたの、?」
 にっこりと笑う女の人――――――――に私はお願いをする。その為にこうして出てきて貰ったんだもん。
「お願い! 、お花の折り方教えて!」
「……………………お花?」
 こてん、と首を横に倒して聞いてくる。それに私は頷きながら捲し立てる。
「今日、バレンタインなんだって! 好きな人やお世話になった人にお花やチョコレートをあげる日! だから、お花の折り方教えて!」
 私の言葉に納得して、は優しい笑顔を浮かべる。とっても綺麗。
 それからチョコレート色の紙を折り紙サイズに切って、の教えてくれる通りに折って、幾つものバラを作る。
 出来上がったそれは、厚みが少し出ているからかそれとも入れ方が悪いのか、最初に入れて貰った紙袋一杯になっていた。多分、入れ方が悪いんだと思う。
 満足した私はそこから一つチョコレート色のバラを取り出し、に渡す。
「ありがと、。これ、へのバレンタイン」
「っ、……」
「えへ。…………それじゃ、みんなに配ってくるね!」
 の前にチョコレート色のバラを置くと(はモノに触れない。私には触れるのに)扉を開け、紙袋を持って廊下に出る。
 その瞬間から私は「」から「沢田ツナ」になる。
 誰に会うか解らない。寧ろ、私を「沢田ツナ」だと思ってる人にしか会わない確率の方が高い。だから絶対に絶対に、「沢田ツナ」の仮面ははずせない。
 紙袋からチョコレート色のバラが零れ落ちないように気をつけながら、それでも少し急ぎ足で歩く。まずはお爺ちゃんの所に行こうと思う。そうすれば多分、お父さんとお母さんの居場所がわかるから。
 歩いていって、お爺ちゃんの執務室の前に立つと、ちゃんとしっかりノックを四回してから返答を待つ。
 から教えて貰ったんだけど、一回のノックは略式、二回はトイレ、三回は親しい人やプライベートの時、四回は初めての場所や礼儀正しくしなくちゃいけないところ用らしい。
 中からお爺ちゃんの「どうぞ」という声が聞こえてきて、失礼します、と声を掛けて私は扉を開けた。
「九代目、今……」
 お時間ありますか。
 そう聞くはずだったんだけど、視界に入ってきたのはお爺ちゃんの部下さん。ちょっと見覚えがないから幹部とかそういう人じゃないと思う。
『九代目、この子供は……?』
 イタリア語でお爺ちゃんに聞く部下さん。やっぱり知らない人だった。
 と、部屋の端っこの方にいたお母さんが声を上げる。
『私と春樹さんの親戚の子よ』
 「沢田ツナ」の設定はそうなっている。だから私は礼儀正しくお辞儀をした。
『初めまして、沢田ツナです』
 目に見えて部下さんが緊張を解く。子供にまで注意しなくちゃいけないって、マフィアってやっぱり大変。
 とりあえず紙袋の中からチョコレート色のバラを三つ取りだして、一つを執務机にいるお爺ちゃんに、一つをその近くにいるお父さんに、一つを壁際にいるお母さんに渡す。
『今日はGiorno di San Valentinoだって聞いたから。いつもお世話になってる三人に、感謝を込めました。受け取ってください』
 にっこりと笑って言うと、お爺ちゃん達からありがとうの言葉を貰えた。
 嬉しくなりながら扉を開けて、もう一度廊下に出る。
 今度探す人達も忙しいからどこにいるか解らない。解らないはずだけど、でも何となく解る。だから私は直感に従って廊下を歩いた。
 暫く歩くと、目的の一人が見えてきた。綺麗な銀髪の。
「スクアーロ!」
 名前を呼びつつその腰に床を蹴って飛びつく。半分ぐらいタックルの勢い。
「う゛ぉ!? いきなり来るんじゃねぇ……ツナ」
 私の勢いにびっくりしたスクアーロ。でも流石、私の名前を言わなかった。
 まあ、前言ったときにバリカン持って迫ってやったからその恐怖が残ってるんだと思う。
「スクアーロ、オレ、スクアーロとXANXUSに用事があるんだ。XANXUS、どこ?」
「ボスかぁ? 今から行くとこだぁ。一緒に付いてくるか?」
「うん、行く」
 一も二もなく頷いて、私はスクアーロの腰から離れて手を繋ぐ。スクアーロはいつものことだと文句を言わない。
 でもこれってね、周りの人は結構驚くの。だからそれが楽しかったりするんだよね。
 スクアーロに連れられてきたのはXANXUSの部屋。途中の廊下がちょっと長かったけど、それでだいぶ退屈になったけど、それでも目的は果たせそうだ。
「う゛お゛ぉい、ボスさんよぉ。ツナがオレ等に用事があるってんで連れてきてやったぜぇ」
 扉を開けながら言ったスクアーロ。中にいたXANXUSがこっちを見る。その手元には何枚かの紙。
 部屋の中に入って扉をちゃんと閉めて、私は首を横に倒して聞いた。
「ええと、お仕事中?」
「いや、後に回してもいいもんだ」
 そう言って脇に退ける。……でも絶対あれ、お仕事の書類だ。
「それで、オレ達に用事ってのはなんなんだ?」
 XANXUSに言われて私は紙袋からチョコレート色のバラを取り出してXANXUSとスクアーロに渡す。
 幾らスクアーロの方が近いからって、XANXUSに先に渡さないと後で痛い目を見るのはスクアーロだから、XANXUSに最初に渡した。
「今日はバレンタイン………………ヴァレンティーノなんでしょ? だから二人に」
 いつもお世話になってるから、と言いながら笑えば、髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜられた。
 二人に。
 ちょっと膨れつつ髪を手で元に戻して、二人を睨み上げる。でも、やっぱり効果はなかった。
「しかしお前がヴァレンティーノなんて知ってるとはなぁ」
「うん、リアンナから聞いた」
「………………知らなかったのか」
「幼馴染みも友達もいないまだまだガキな男の子にヴァレンティーノという行事を知る余裕があると思う? 周りに女っ気なんて殆ど無いし、男の子として生活してるんだから女の子の行事には疎くもなるっての」
 へっ、と荒んだ笑い方をしながらXANXUSに返せば、申し訳なさそうな顔になる。スクアーロも然り。
 別にそういう顔をさせたかった訳じゃないのに。ただ事実を言っただけなのに。もっと知識を吸収しないとと思ってただけなのに。
 ぽふ、と軽く頭に手を置いて、XANXUSがしゃがんで私に視線を合わせた。
「親父がお前を気に入って、ちょくちょく光と春樹がここに連れてこなければ普通に過ごせただろうに……。悪いな」
「別に気にしてない。お爺ちゃんに会うのもXANXUS達に会うのも好きだもん。それにね、多分お爺ちゃんが私のこと気に入ってなくても同じだったと思うよ」
 だってお父さんもお母さんも過保護だから。きっと普通になんて過ごせない。
 溜息を吐きながら首を横に振ってそう言うと、私はXANXUSの手を掴んで頭から離させた。
「あのね、XANXUS、スクアーロ。依頼があるの」
 離させた手をしっかりと掴んで私は二人に言う。
の依頼なら無償で受けるぜぇ?」
「言ってみろ」
「うん。あのね、これを一つビアンキに届けて欲しいんだ」
 紙袋からチョコレート色のバラを取り出してXANXUSの執務机に近付き、そこにあったペンを使ってバラの裏にイタリア語で受取人の名前と差出人の名前、それからヴァレンティーノという単語を書く。
「了解した。カスに届けさせる」
「う゛お゛ぉい! カスはねぇだろうがぁ!」
「うるせぇ、ドカス」
 …………仲良きことは美しきかな。
「ありがとう、XANXUS、スクアーロ。私、まだ配る人いるから、行くね?」
「気をつけろよ」
 XANXUS達に見送られて私は部屋を出ると、今度はリアンナ達の仕事場所に戻るために駆け足で歩く。というか走る。
 無事に誰ともぶつからずリアンナ達の仕事場所に着くと、紙袋からバラが零れていないのをちゃんと確認して扉を開けた。
「戻ってきたよ、リアンナ」
「あら、お帰りなさい、ちゃん」
 出迎えてくれたリアンナの隣には、カイルがいた。
「カイル、帰ってきてたの?」
「ええ。簡単な仕事でしたからすぐ終わりましたよ」
 二人の近くに駆け足で行って、紙袋からチョコレート色のバラを取り出す。
「はい、二人に。今日はバレンタインだから」
 笑いながら言えば、二人とも受け取ってくれた。凄く嬉しい。
 えへへ、と笑っていると、資料室の方からナナ姉とロウ兄が出てくる。……ロウ兄、凄い資料の山抱えてるなぁ。
「ぐあーっ、重い!」
「馬鹿だね、一度に運ぼうとするからだろ。…………あれ、じゃないか。来てたのかい?」
「うん」
 ナナ姉が気付いて声を掛けてきてくれた。
 とりあえず二人が資料を置くのをリアンナが勧めてくれた椅子に座って待っていると、ひょい、と私の前に一つの湯気を立ち上らせたマグカップが差し出される。
 見れば、差し出してくれたのはベルセリア。
「ありがと、ベルセリア」
「どういたしまして」
 ベルセリアからマグカップを受け取ると、中に入っていたココアの甘い匂いが更に強くなった。
 どさっ、とロウ兄が資料を近くの机の上に置いてこっちを見る。
「気をつけろよ、お嬢。ベルセリアが寄越す奴だからな。どんな薬が入っているか……」
「失礼ですね、ロウ。そういうことをする相手はあなただけです。大体、を実験体に選ぶわけがないでしょう」
「オレだけかよっ!」
「当たり前です。一番丈夫でしょう、私達の中で」
「一番丈夫なのは光だろーが」
「あれは規格外です。…………ああ、あなたも充分規格外でしたね」
「お前に言われたかねーよ!」
 ベルセリアとロウ兄の口論は今に始まった事じゃない。いつものことだし、結局負けるのはロウ兄だ。
 だから終わるのをぼんやりと待っていると、ナナ姉がカイルとリアンナが持っているチョコレート色のバラに気付いた。
「あれ? なんだいそれ」
がオレ達にくれたんですよ」
 にこりと笑ってカイルが言うから、私は紙袋の中からチョコレート色のバラを取り出し、ナナ姉に渡す。
「ナナ姉、今日はバレンタインだから。あげる」
 きょとん、と私がいった言葉にしてから、納得といった感じでナナ姉は頷いた。
「そっか、今日はバレンタインだっけ」
 マフィアなんてやってると曜日感覚とか狂うのだろうか。それとも、ナナ姉は興味なかったのかな。
 そんなことを思っていたら、扉が開いて入ってきたのは黒髪の。
「ジュード」
「……なんだ、来ていたのか、
「悪い?」
「いや。来ていると思っていなかっただけだ」
 そう言うと、ジュードは近付いてきてカイルに書類の束を渡す。
「後は自分でやれ」
「すみません、ジュード」
 どうやらジュードに報告書、任せてたみたい。確か一緒のお仕事だったらしいから。
 ちょっと笑いながら、私はジュードにもチョコレート色のバラを渡す。
「はい。バレンタイン」
「……………………ああ」
 なんだか反応が凄く薄い。それでもちゃんと貰ってくれるし、反応が薄いのは多分眠いからだろうし。
 お疲れ様、って言って、ふらふらした足取りでベッドのある部屋の方へ歩いていくジュードを見送った。
 そろそろベルセリアとロウ兄の口論が終わったかな?
 そう思って見てみれば、まだやってる。
 飽きないのかな、なんて考えながらもチョコレート色のバラを二つ紙袋から取り出して、今度はベルセリアとロウ兄の方に近付いて差し出す。
「二人とも、どうぞ」
「…………ありがとうございます、
「…………おう、サンキュな、お嬢」
 二人ともびっくりして、でも嬉しそうに貰ってくれた。
 それに満足して私はロウ兄とナナ姉が先刻持ってきた資料の山の方へ行く。
「これ見ても、」
「駄目!」
 …………全員に駄目出しされた。ちぇ。






























 バレンタインから三日後。イタリアから日本へ帰ってきた私はすぐ、きょーや君といつも会う場所に向かって走っていた。
 片手には紙袋。中身はチョコレート色のバラ。配った以上の数が入ってる。
 別に残ったから押しつけよう、なんて思ってない。元から計算の上で作った。きょーや君にだけ沢山あげたかったから。
 だって、きょーや君は一般人。マフィアじゃない。なのに巻き込んじゃってさ。それでも私と一緒に遊んでくれて。凄く凄く優しいから、感謝の気持ちを沢山沢山込めたかった。
 走っていけば、いつも通りにきょーや君が座って本を読んでいる。
 早く側に行きたくて更に速さを上げると、足下が疎かになっていて、足下の小石に躓いてしまう。
「あっ」
 私としたことがなんて凡ミス。小石に躓いて、尚かつ紙袋を離してしまうなんて。こんな事、普段はやらないのに。
 飛んでいった紙袋はチョコレート色のバラをきょーや君の上にばらまいて地面に落ちた。
 突然落ちてきたチョコレート色のバラにきょーや君は驚き、それから私に気付いた。
「………………なに、嫌がらせ?」
「……………………違う」
 違うけど、結局同じようなもの。きょーや君、本読んでたし。
 項垂れながら地面と仲良くしていると、影が私を覆う。顔を上げれば、手を差し出してくれてるきょーや君。
 嬉しくなって手を取りながら起きあがると、ぺし、と額にチョコレート色のバラが押しつけられた。
「それで、これなに」
「お花」
「…………」
 きょーや君は黙ってしまった。
 なんだかこう、気恥ずかしくなってちゃんと言えなかったんだけど、ちゃんと言った方がいいよ、ね?
「えっと。遅くなったんだけど、ヴァレンティーノ…………バレンタイン、だから」
 きょーや君が解らないと言った感じで瞬きをする。
 私はガラにもなくそれに動揺してしまった。
「えとえと、あの、バレンタインではお世話になった人にお花とか送る、って聞いたから。オレ、きょーや君にお世話になってるから、だからその…………」
「……………………うん。一応貰っておく」
 あまりに私が慌てるものだから、呆れ半分といった感じで溜息を吐きながらきょーや君はそう言った。
 それでも貰ってもらえるのは嬉しい。
「でもこんなにいらない」
 わお、一刀両断。
 結局一つだけきょーや君は持って帰り、他は全部紙袋に戻して私が家へと持って帰ることになった。
 何事もほどほどがいいんだね。覚えておこう、うん。