「ずうっと、見ていたい景色って、ある?」
問い掛けてきた隣の人へ視線を向ける。
緩やかにウェーブが掛かったその長い黒髪を無造作に背中に流し、同じように黒い瞳で、じっと空を見つめている。
夕暮れ時の、茜色の空を。
「ありませんね、特には」
「そっか。残念」
いつものように笑みを浮かべて言うと、彼女は苦笑した。
僕が笑う度に彼女は苦笑し、いつも穏やかに眼を細める。
今日もそうだった。
穏やかに緩やかに眼を細めると、彼女は僕へと視線を向ける。
「例えばほら、今とか。世界が色に染まって、とっても綺麗だと思わない?」
「そうですね」
肯定とも否定とも言えない言葉を返しておく。これもいつものことだった。
毎日飽きないかのように繰り返すそれを、毎日飽きもせず繰り返したがる彼女。
それとも、繰り返しているのは僕だろうか。
「世界はね、きっと凄く凄く綺麗なのよ、本当は」
彼女が呟いた。
「…………違いますよ。世界はどうしようもなく醜いんです」
つい、本音が漏れた。
ここはいつものように返事を返すべき所なのに。
僕の顔をじっと見ていた彼女の顔に笑みが浮かぶ。
「そうね、世界は醜いわ。でもだからこそ美しいのよ」
謎掛けのようにそう答えた彼女。
醜いのに美しい。それは酷く矛盾した答えで、僕は少しだけ眉を寄せてしまった。
「醜いのに美しいわけがないでしょう」
「いいえ。捉え方一つなのよ」
彼女の笑みが深まる。けれど声は淡々と響いた。
美しいと彼女が言ったこの世界に。
「人の数だけモノの見方があるわ。同じように、人の数だけ世界の見方もあるの」
「……では、あなたの世界は醜く、そして美しいんですか?」
唐突に尋ねてみたくなった。彼女が見る世界はどんなものなのか。
聞いた僕に、彼女は少し考える素振りを見せる。視線が僕から外れた。
けれどそんなに間を置くことなく答えた。
「ええ、そうよ。醜くて美しいの。時々目を背けたくなるけれど、今みたいな穏やかな時があるとね、ああ、世界は美しいんだな、って。そう思うの」
空に向かって手を伸ばしながら言う彼女の横顔は、他の全てと同じく茜色に染まっていて。
「ねぇ、あなたの世界は?」
問われたことに、すぐさま答えられなかった。
「………………そう、ですね。人同士で争い、奪い合い、とても醜い。美しいなんて思えません」
「それがあなたの世界なのね」
彼女は否定も肯定もしなかった。
偽善者と呼ばれる類の人間は、先程の僕の言葉を否定する。
そんなことはない、世界は美しい。争っているばかりじゃない、助け合っている。
言葉を紡ぎ、自分も僕の言う醜い人間の一人に入っているなんて思ってもいない。そしてその口で誰かのことを悪く言う。
けれど彼女はそうじゃなかった。
否定も肯定もせず、ただ受け入れるだけ。ある意味、世界と自分を切り離して生きている人間。
「あなたの世界と私の世界、きっととても似通っていて、決定的に何かが違うのね」
「……何が違うんでしょうね」
「育った環境とかそう言うモノが大きいのでしょうけれど、でも」
彼女は空から僕へと再度視線を移して笑う。
「私とあなたが別の人間だというのが一番の違いでしょうね」
けれどだからこそ世界は素敵なのよ。
そう言って笑う彼女を、僕は何も言わずに見つめていた。
一頻り笑うと、彼女は屋上の手摺りから身体を離した。
「今日も楽しかったわ。また明日、六道君」
「ええ、また明日。」
ひらりと手を振って、彼女は校舎の中へと消えていく。
残されたのは僕と、僅かな西日の光だけだった。